本文へ移動
TORENDIA

恋妻であり敵であった

本文約3,900字 ・ 読了時間 約8分

あらすじ(AIが作成しました)

早稲田卒業後の平尾不孤は、造士寮で暮らす理知的な女性・Oさんと出会い、彼女の壮絶な過去を知りつつ深く恋に落ちる。周囲の懸念を振り切り、経済的な困窮の中でも献身的に彼女を支え結婚に至るが、妻の文筆活動や自らの病が二人の関係に影を落とす。病床の平尾に看護の意志を伝え、賞金を手に家を出た妻は戻ることなく、平尾は妻への執着と苦悩を抱えたまま、自身の生涯を閉じることになる。本作は、恋人であり敵でもあった妻との過酷な愛の軌跡を描く。

薄田泣菫

速度
🎧 恋妻であり敵であった / 朗読音声: VOICEVOX:もち子さん

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 5

中央公論の二月号と三月号とに、文壇諸家の交友録が載つてゐました。そのなかに正宗白鳥氏は今は亡き人の平尾不孤、岩野泡鳴二氏を回想して、二人とももつと生きてゐたら、もつと仕事をしてゐただらうに、惜しいことをしたものだと言つてゐました。ほんたうにさうで、二氏はそれぞれ異つた才分をもつてゐて、どちらも長生をすればするほど、それが成長してゆく性質のものだつたのを思ひますと、殊に痛惜の念に堪へません。私は二人ともよく知つてゐましたが、岩野氏は生前すでに一家を成してゐた人だけに、交際も広く友人知己も多かつたのに比べて、平尾氏のはうは、どちらかといふと人間が陰気で、引つ込み思案で、おまけに名前も売り出さないうちに亡くなつたので、今では知つてゐる人も僅かしか残つてゐません。今日はその平尾氏について少し語つてみたいと思ひます。氏の短い一生は、いろんな意味で感慨の深いものがありますから。

平尾氏が早稲田の文科を卒業後、初めて見つけた勤め口は、大阪の造士新聞といふ小つぽけな週刊新聞でした。造士新聞は今は大阪のある郊外電鉄の専務取締、その当時は弁護士の紀志嘉実氏が、貧しい青年学生を収容するために設けた造士寮の機関新聞でしたが、平尾氏は編輯するやうになつてからは、際だつて文藝の色が鮮やかに見られるやうになりました。

その造士寮には、今中山文化研究所で花形のS医学博士なども、大阪医専の学生としてゐられたやうでした。女学生も三人ばかしゐましたが、そのなかのOさんといふのに、平尾氏が恋をしました。Oさんは金沢在の生れで、朝鮮にもゐたといふことでしたが、いかにも雪国の生れを思はせるやうな、しつかりした、理智の勝つた、主我的で打算的なところの見える婦人でした。その頃Oさんは梅花女学校に通つてゐました。キリスト信者の多いあの学校のなかで、平気で自分の机に小さな仏壇を入れて、仏様を祠つてゐたといへば、その気性のほども大抵察しられるだらうと思ひます。

薄田泣菫の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本