TRENDIA CLASSIC

連城

蒲松齢

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喬は晋寧の人で、少年の時から才子だといわれていた。年が二十あまりのころ、心の底を見せてあっていた友人があった。それは顧という友人であったが、その顧が没くなった時、妻子の面倒を見てやったので、邑宰がひどく感心して文章を寄せて交際を求めて来た。そして二人が交際しているうちに、その邑宰が没くなったが、家に貯蓄がないので家族達は故郷へ婦ることができなかった。喬は家産を傾けて費用を弁じ、顧の家族と共に顧の柩を送っていって、二千余里の路を往復したので、心ある人はますますそれを重んじたが、しかし、家はそれがために日に日に衰えていった。

その時史孝廉という者があって一人の女を持っていた。女は幼な名を連城といっていた。刺繍が上手で学問もあった。父の孝廉はひどくそれを愛した。連城の刺繍した女の刺繍に倦んでいる図を出して、それを題にして少年達に詩をつくらした。孝廉はその詩によって婿を択ぼうとしていた。喬もそれに応じて詩をつくって出した。

その詩は、

慵鬟高髻緑婆娑

早く蘭窓に向って碧荷を繍す

刺して鴛鴦に到って魂断たんと欲す

暗に針綫を停めて双蛾を蹙む

というのであった。

また連城の刺繍の巧みなことをほめて、

繍線挑し来たりて生くるを写すに似たり

幅中の花鳥自ら天成

当年錦を織るは長技に非ず

倖に廻文を把りて聖明を感ず

としてあった。連城はその詩を見て喜んで、父に向ってほめた。孝廉は喬は貧乏だからといって相手にしなかった。連城は人に逢うと喬のことをほめ、そのうえ媼をやって、父の命だといつわって金を贈って喬のくらしを助けた。喬はひどく感じていった。

「連城こそ自分の知己である。」

喬は連城のことばかり考えて食にうえた人のようであった。間もなく連城は塩商の子の王化成という者と許嫁になった。喬はそこで絶望してしまったが、しかし夢の中ではまだ連城を思慕していた。

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