神道の新しい方向
本文約6,700字 ・ 読了時間 約14分
あらすじ(AIが作成しました)
昭和二十年の終戦という状況下で、日本人が宗教的情熱を欠いている現状を危惧する。神道を単なる道徳や慣例として捉え、宗教化を拒んできた従来の姿勢を批判し、日本の神を宗教的な崇拝対象として独立させる必要性を説く。特に高皇産霊神・神皇産霊神を祖先崇拝から切り離し、生命の根源としての神として再認識することを提唱する。宗教的な秩序と礼譲ある社会を築くために、神道が宗教として新しく復活することを切に願う論考である。
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昭和二十年の夏のことでした。
まさか、終戦のみじめな事実が、日々刻々に近寄つてゐようとは考へもつきませんでしたが、その或日、ふつと或啓示が胸に浮んで来るやうな気持ちがして、愕然と致しました。それは、あめりかの青年たちがひよつとすると、あのえるされむを回復するためにあれだけの努力を費した、十字軍における彼らの祖先の情熱をもつて、この戦争に努力してゐるのではなからうか、もしさうだつたら、われ/\は、この戦争に勝ち目があるだらうかといふ、静かな反省が起つて来ました。
けれども、静かだとはいふものゝ、われ/\の情熱は、まさにその時烈しく沸つてをりました。しかしわれ/\は、どうしても不安で/\なりませんでした。それは、日本の国に、果してそれだけの宗教的な情熱を持つた若者がゐるだらうかといふ考へでした。
日本の若者たちは、道徳的に優れてゐる生活をしてゐるかも知れないけれども、宗教的の情熱においては、遥かに劣つた生活をしてをりました。それは歯に衣を着せず、自分を庇はなければ、まさにさう言へることです。われ/\の国は、社会的の礼譲などゝいふことは、何よりも欠けてをりました。
それが幾層倍かに拡張せられて現れた、この終戦以後のことで御覧になりましても訣りますやうに、世の中に、礼儀が失はれてゐるとか、礼が欠けてゐるところから起る不規律だとかいふやうなことが、われ/\の身に迫つて来て、われ/\を苦痛にしてゐるのですが、それがみんな宗教的情熱を欠いてゐるところから出てゐる。宗教的な、秩序ある生活をしてゐないから来るのだといふ心持ちがします。心持ちだけではありません。事実それが原因で、かういふ礼譲のない生活を続けてゐる訣です。これはどうしても宗教でなければ、救へません。仏教徒であつたわれ/\の家では、時を定めて寺へ詣る――さういふ生活を繰り返してをりますけれども、もうそれにはすつかり情熱がなくなつてをります。それからその慣例について、謙譲な内容がなくなつてをります。