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TORENDIA

石の信仰とさえの神と

本文約7,100字 ・ 読了時間 約15分

あらすじ(AIが作成しました)

日本の道祖神の信仰を解明するため、著者は石に宿る霊魂や石の成長・分裂といった古い伝承を論じる。海岸に漂着した石や生殖器を模した石が神体として祀られる背景には、霊力への崇拝がある。また、子供たちの間で営まれるさえの神祭りは、かつての成年式や生殖行為に関する教育と深い関わりを持つことを示し、それらの行事がなぜ行われるのかという問いに対する考察を展開する。

折口信夫

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道祖神の話は、どうしても石の信仰の解決をつけておかぬと、その本当の姿はわからぬ。柳田先生の『石神問答』は、道祖神を中心にしての研究であったが、そのために、いろいろな石の神体のことを問題にせられた。筑前にある神籠石は、神道では、「いはさか」だと言われているが、石が敷き並べてあるばかりでなく、岩石のもある。「こうご」は、かっぱのことでもある。先生はあらゆる石の信仰を問題にせられたが、もういっぺん、そのいろいろの石の信仰を考えぬと、道祖神はわかってこない。ある場合には道祖神そのものが、石の神かと思えるほどである。それをはっきりさせねばならない。

日本では、石の神はいろいろあるが、石が海岸に漂着するという信仰が古くからあった。常陸の大洗磯前神社の「かみがたいし」(神像石)など、一夜のうちに忽焉と、暴風雨の後に現われた、と歴史の書物にも書いてある。この神像石はあちこちにあった。常はなんとも思うておらぬから注意にあがらぬが、暴風雨の後などには、もとからあったものとも知らず、漂うてきたものだと思うことがある。この石の漂着するのを、寄り石(漂着石)信仰とわれわれは言うている。

日本では、もう一つ、石の成長する信仰がある。壱岐国の渡良島では、石を拾ってきて、祀っておいたら、だんだん大きくなったという話がある。これは、石漂着の信仰と、石成長の信仰と、二つのものが重なって、一つになったのである。石が寄ってくるということは何か。石でなくても、遠いところから、この土地へ漂うてきた、と信じられるものなら何でもよい。神なら神が、舟に乗ってこられたことになるが、もっと抽象的、神秘的な威力のある霊魂が、その土地にやってきた話となる。

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