TRENDIA CLASSIC

歌の円寂する時

折口信夫

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われさへや 竟に来ざらむ。とし月のいやさかりゆく おくつきどころ

ことしは寂しい春であった。目のせいか、桜の花が殊に潤んで見えた。ひき続いては出遅れた若葉が長い事かじけ色をしていた。畏友島木赤彦を、湖に臨む山墓に葬ったのは、そうした木々に掩われた山際の空の、あかるく澄んだ日である。私は、それから「下の諏訪」へ下る途すがら、ふさぎの虫のかかって来るのを、却けかねて居た。一段落だ。はなやかであった万葉復興の時勢が、ここに来て向きを換えるのではないか。赤彦の死は、次の気運の促しになるのではあるまいか。いや寧、それの暗示の、寂かな姿を示したものと見るべきなのだろう。

私は歩きながら、瞬間歌の行きついた涅槃那の姿を見た。永い未来を、遥かに予ねて言おうとするのは、知れきった必滅を説く事である。唯近い将来に、歌がどうなって行こうとして居るか、其が言うて見たい。まず歌壇の人たちの中で、憚りなく言うてよいことは、歌はこの上伸びようがないと言うことである。更に、も少し臆面ない私見を申し上げれば、歌は既に滅びかけて居ると言う事である。

批評のない歌壇

歌を望みない方へ誘う力は、私だけの考えでも、尠くとも三つはある。一つは、歌の享けた命数に限りがあること。二つには、歌よみ――私自身も恥しながら其一人であり、こうした考えを有力に導いた反省の対象でもある――が、人間の出来て居な過ぎる点。三つには、真の意味の批評の一向出て来ないことである。まず三番目の理由から、話の小口をほぐしてゆく。

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