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TORENDIA

舞台のイメージ

本文約1,600字 ・ 読了時間 約4分

あらすじ(AIが作成しました)

戯曲創作における舞台イメージの重要性を論じる。作者の頭の中に人物と事件が収まる枠組みが必要であり、舞台を予想しないものは戯曲とは呼べないと説く。一方で、既存の劇場に限らない自由な舞台イメージの抱懐こそが戯曲的狙いの範囲を拡大し、演劇の根本的な進歩を促すと主張する。劇作家の怠慢を戒め、いかなる制約にも縛られず奔放に舞台を構想し、戯曲の本質的な芸術的進化を目指すべきだと説く論考である。

豊島与志雄

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🎧 舞台のイメージ / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

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戯曲創作の場合には、その作者の頭に、一つの舞台がはっきり写っていなければいけない。云い換えれば、人物と事件とが――その現われが、一つの枠の中にかっきりはまっていなければいけない。

そういう舞台的イメージが、戯曲創作の場合には、最も大切であるように思われる。

小説とか対話とか戯曲とか……を区別するのに、出来上った作品について云えば、表現の形式が最も多く関係するだろうけれども、作者の創作的営みについて云えば、舞台のイメージの有無が、最も多く関係するように思われる。如何に戯曲の形式を具備していても、一つの舞台のイメージを以て書かれていない作品は、純粋に戯曲とは云い難い――(日本の文壇にはそういう所謂戯曲が余りに多すぎるような気がする。)

勿論作者にとっては、作中人物の性格や心理や動作や言語や其他あらゆるものが、はっきり浮彫になって見えていればいるほど、益々よい作品が出来るわけだけれど、戯曲になると、それら一切のものを盛る一つの容器――一つの舞台が必要なのである。盛らるべき中身と盛るべき容器とがぴったりとはまって、一つの世界を形造ることが必要なのである。

戯曲的な狙いというのは、それを指すのだと思う。

随って戯曲の創作はそれだけにまた厄介であり窮屈である。大抵の素材は、小説的には狙い易くても、戯曲的には狙い難い。

然し私が云いたいのは、そんなことではない。この戯曲的狙いの範囲を拡げるということである。

「読むための戯曲」とか「舞台を予想せざる戯曲」とかいう言葉が以前から存在している。それを正当な位置に引下して考えてみよう。

右の言葉が、現在の劇場の舞台を対象とするのならば、それは立派に存在し得る。然し絶対的の意味でならば、それは少しも存在の理由がない。

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