今日の条件
本文約3,700字 ・ 読了時間 約8分
あらすじ(AIが作成しました)
人間生活の理想の実現を阻む現在の状況を「今日の条件」と定義し、文学が果たすべき使命を論じる。写実や現実肯定に留まる文学を否定し、現実に対して反逆し格闘することこそが文学の生命であると主張する。小説的思考形式による建設的な表現の可能性を示し、将来への指向を内蔵した文学のあり方を提言する。権力観念に抗い、将来を夢見ながら苦難の途を歩む文学者へ敬意を表するとともに、評論形式における小説的表現の導入を模索する。
💰 この本を応援する(投げ銭)
ごく大雑把にそして極めて素朴に、人間の生活の理想的な在り方を考えてみる。――週に六日、毎日六時間ばかり、何等かの社会的な生産的な勤労に徒事し、それで生計を立て、その他の時間を、随意に自由に使用する。そして勤労によるこの生計は、僅かに生存を維持するだけのような低級なものではなく、必要にして充分な余裕を持つ程度のものであらねばならぬ。随って、其他の時間の任意な使用は、原則的に、報酬を目差すものではなく、各人各種の技能の花を咲かせるものとなる。時間は充分にあり、高度の技能も練磨される。芸術もこの中の花の一つに位置する……。
以上、理想的な考え方で、今日ではまだ空想の域を脱しない。然しながら、理想は目標であり、ここに理念の基盤を置くべきであろう。同時にまた、目標はそれ自体が吾々へ近寄って来るものではなく、吾々の方からそれへ向って歩いて行かねばならぬもの故、到達までには、努力奮闘の務が吾々に負荷される。ここに今日の条件がある。――芸術もさまざまの花の一つだというのは、遙か彼方の社会に於けることで、現在では、今日の条件がいつも重大に付きまとう。
そこで、早速に言う。文学は衆人に奉仕してその慰安娯楽となるべきであり、文学者は畢竟戯作者たるべきである、というような説、つまり、現実肯定の幇間的立場、それに私は反対する。反対するばかりでなく、そんなものはすべて下らないと軽蔑する。現在吾々が置かれてる現実そのものが、すばらしく立派なものであるならばとにかく、実に下らないものであるからして、それに阿諛するものはすべて下らないのだ。
文学が現実の再現であろうとする企図が遂に失敗に終ることは、既に経験ずみである。文学は現実の転位の世界に於ける営みであって、この営みでは、常に現実に対して何かがプラスされる。そのプラスが文学の生命とも言える。近代の文学はそのプラスに眼をつける。近代の文学者はそのプラスに身を投げ込む。小説の批判性や思想性はそこから生ずる。――近頃の小説が如何に評論に近づいているか、如何に多く評論的要素を取り入れているかは、周知の通りである。