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TORENDIA

貞操の幅と限界

本文約1,900字 ・ 読了時間 約4分

あらすじ(AIが作成しました)

十七歳の娘との交流や見聞した実例を通じ、処女期における空想的・冒険的な貞操観と、経験を経て現実に目覚めた人妻の変貌を論じる。処女の貞操は一人の男への義務や肉体的な純潔にとどまりやすく、教養による裏付けを欠くため失われた後の転落を招きやすいと指摘する。一人の男への束縛ではなく、魂の問題としての貞操のあり方を提示し、肉体から魂へと純潔の価値を転換させる必要性と、家庭生活における女性の変質を克服する新たな生き方を提唱する。

坂口安吾

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🎧 貞操の幅と限界 / 朗読音声: VOICEVOX:もち子さん

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私はむかし十七の娘と友達になって、一緒にお酒をのんだり(娘はお酒が強かった)方々ホテルを泊り歩いたりしたが、そしてそれを言いだすのは多くは娘の方からであったが、私たちは肉体の交渉はなかったので、娘はいつもそれを激しく拒んだ。

これは然し遊びと貞操との限界という観念からではなかったので、娘は男女のそんな行為について全然知識がなかったのであり、愛情の肉体的な表現とはただ抱きすがり抱きしめ接プンするだけのものだとしか知らなかったせいである。

私は又、むかし浅草で軽演劇の俳優をヒイキにしてご馳走したり着物を買ってやったりしていたお金持の娘のことを知っていたが、俳優の方から口説いてみても、それだけは応じなかった。この娘は後に誰かと結婚して、結婚後は淫奔であり、後にはその俳優とも関係があったようだ。

ご婦人がたは娘のころは肉体の快楽について極めて幼稚な空想家にすぎないようだが、一たび現実に快楽を知ると、根柢的な現実家になる。快楽に限らず万事につけてその傾向で、処女と女房の相違には、童貞と亭主の相違とは比較にならぬ大きな変化の一線がある。

だから、まだ現実に快楽を知らない処女のうちは、どんなに空想家であっても、空想だけではめったなことで引きずられはせぬ。女を本当にひきずる力は、現実的な力で、女は根柢的な現実家である。

娘がヤミの女になったりするのも、肉欲的な衝動よりも、冒険とかヤケとか腹いせとか境遇とか気質的な諸要素によるのが多く、学究的に処女を失ってみようというような型まで有りうる。

処女のうちは恋人ができて、本当に好きで好きで堪らないというようになっても、好きであればあるほど肌なんか見せられない、そんな羞しいことはとてもできない、というような気持もあって、それも要するに、現実的な力にひかれることがないからでもあろう。

処女の空想や冒険心というものは非常に強力なもので、衝動的ですらあるが、同時に理想家でもあり、正義派でもあり、空想性や冒険心の強い娘さんほど、同時に理想家で、正義心も強いようだ。

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