TRENDIA CLASSIC

念珠集

斎藤茂吉

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1 八十吉

僕は維也納の教室を引上げ、笈を負うて二たび目差すバヴアリアの首府民顕に行つた。そこで何や彼や未だ苦労の多かつたときに、故郷の山形県金瓶村で僕の父が歿した。真夏の暑い日ざかりに畑の雑草を取つてゐて、それから発熱してつひに歿した。それは大正十二年七月すゑで、日本の関東に大地震のおこる約一ヶ月ばかり前のことである。

僕は父の歿したことを知つてひどく寂しくおもつた。そして昼のうちも床のうへに仰向に寝たりすると、僕の少年のころの父の想出が一種の哀調を帯びて幾つも意識のうへに浮上つてくるのを常とした。或る時はそれを書きとどめておきたいなどと思つたこともあつて、ここに記入する『八十吉』の話も父に関するその想出の一つである。かういふ想出は、例へば念珠の珠の一つ一つのやうにはならぬものであらうか。

八十吉は父の『お師匠様』の孫で、僕よりも一つ年上の童であつたが、八十吉が僕のところに遊びに来ると父はひどく八十吉を大切にしたものである。読書がよく出来て、遊びでは根木を能く打つた。その八十吉は明治廿五年旧暦六月二十六日の午すぎに、村の西方をながれてゐる川の深淵で溺死した。

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