玉菜ぐるま
本文約1,200字 ・ 読了時間 約3分
あらすじ(AIが作成しました)
欧羅巴の地で目の当たりにした大きな労働馬の姿を綴る随筆。筆者は維也納への留学中、石炭や麦酒樽を運ぶ馬の力強い歩みに異国の生活の寂しさを癒やされる。ある冬の朝、青い玉菜を山のように積んだ車を引く馬の威容に深く感服した筆者は、街を歩きながらその雄大な光景を探し求める。日常の中に現れる馬の姿を通じて、異国での思索や神への問いへと至るまでの心の動きを描く。
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欧羅巴には、骨骼の逞しい、実に大きな馬がいる。僕は仏蘭西に上陸するや、直ぐその大きな馬に気づいた。この馬は、欧羅巴の至るところで働いている。その骨組が巌丈で、大きな図体は、駈競をする馬などと相対せしめるなら、その心持が勿体ないほど違うのであった。
僕はいまだ童子で、生れた家の庭隈でひとり遊んでいると、「茂吉、じょうめが通るから、ちょっと来てみろまず」母はこんなことをいって僕を呼んだものである。なるほど遥か向うの街道を騎馬の人が駆歩している。駆歩する馬の後えには少しずつ土げむりが立って見える。その遥かな街道は、小山の中腹を鑿開いたのであるから、やや見上げるようになっていた。
じょうめは上馬の義ででもあろうか。けれども東北の訛はすでに労働馬と相対の名に変化していた。その日本の労働馬は欧羅巴のに較べるといかにも小さい。
僕は維也納で勉強をしていて、朝夕にこの大きな馬を見た。馬は、或る時は石炭を一ぱい積んだ車をひいていた。維也納は困っていた時なので、血の気のうすい上さんが佇んでその車をしばらく目送している光景などもあった。馬は或る時は麦酒樽を満載して通っていた。或る時は屠った仔牛を沢山積んで歩いていた。仔牛の屍の下半身が一列にぶらさがっている。下肢と尾が一様の或る律動で揺れている。その上段には仔牛の首の方が一列に並びいる。みんな目をつぶって舌が垂れている。そんな光景もあった。
大きな蹄が音立てて街上を踏んでいるのを見ると、寂しい留学生の心はいつも和んで来た。馬は或る時はらはらさせるほど賑かなところで悠々と黄いろな尿を垂れているのを、暫くながめていたこともある。そして、三軍疾く戦はば敵人必ず敗亡せむ。武王曰く、善哉。これでなければ駄目だ。こういってはしゃいだこともあった。