舞台の言葉
本文約5,700字 ・ 読了時間 約12分
あらすじ(AIが作成しました)
舞台の言葉とは、心理的韻律を伴う劇的対話であり、作者の才能を決定づける重要な要素である。日常会話を現実的に整理し、劇的文体へと高めることこそが劇作家の仕事であると説く。また、翻訳劇における言語的な機微の喪失を批判し、言葉が持つ韻律的効果や心理的陰影を舞台上で表現することの重要性を論じる。さらに、自国語で真に優れた戯曲を創作するために必要な、言葉の幻象が観客の魂に触れるような表現の追求を提言する。
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舞台の言葉、即ち「劇的文体」は、所謂、白(台詞)を形造るもので、これは、劇作家の才能を運命的に決定するものである。
普通「対話」と呼ばれる形式は、文芸の凡ゆる作品中に含まれ得る文学の一技法にすぎないが、これが「劇的対話」となると、そこに一つの約束が生じる。それはつまり、思想が常に感情によつて裏づけられ、その感情が常に一つの心理的韻律となつて流動することである。甲の白が乙の白によつてより活かされてゐることである。「心理的飛躍に伴ふ言葉の暗示的効果」が、最も細密に計画されてゐることである。
これは、「自然な会話」と何も関係はない。この「自然な会話」が、「劇的対話」と混同されたところに、写実劇の大きな病根がある。殊に日本現代劇の大きな病根がある。「自然な会話」の総てが悪いのではない。「平凡な会話」が「自然なる」が故に佳しとされたところに、危険がひそんでゐる。
「今日は」
「いらつしやい。だれかと思つたらあなたですか」
「よく雨が降りますな」
「ほんとによく降りますな」
「みなさんお変りありませんか」
「はい、有りがたうございます、お蔭さまでみんなぴんぴんしてゐます。ところで、お宅の方は如何です。さうさう、奥さんがどこかお悪いとかで……」
「なあに、大したことはないんですよ。医者は脚気だと云ふんですが、何しろ、あの気性ですから、少しいいと、すぐ不養生をしましてね」
「それは御心配ですな。どうも脚気といふやつは……」
かういふ種類の白は、一時、いやでも、おほ方の脚本中に発見する白である。こんな月並なことをくどくどと喋舌られてゐては、聞いてゐるものがたまらない。
「自然な会話」必ずしも、上乗な「劇的対話」でないことはこの通りであるが、その中に何も劇的事件がないからだ、内容がないからだと云ふかもしれない。
それも慥かに一つの理由である。然し、そんならこれはどうだ。
「今日は」
「おや、こいつはお珍らしい」
「降りますね、よく」
「どうかしてますね」
「みなさん、お変りは……」
「ええ別に……。ところで、奥さんがどつかお悪いつていふぢやありませんか」