TRENDIA CLASSIC

この握りめし

岸田國士

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増田健次は復員すると間もなく警察官を志願し、今ではもう制服も身についた一人前の駐在さんになつていた。郷里は宮城県の田舎であるが、両親はもうなく、ずつと年の違う兄が後をついで僅かばかりの土地を耕している。彼は元来なら本籍地に勤務するはずなのを、特に思うところあつて、群馬県を撰んだ。職務がら顔見知りの少いところがよいと考えたばかりでなく、子供の頃からなんとなく上州という土地が好きであつた。国定忠次も嫌いではないが、それよりも、沼田という町のあるところ、その沼田という町は、明治の初年に面白い青年の一群を生んだという話を小学校の頃教師に聞いたからであつた。その話というのは、この町の青年のいくたりかで、英語学校を開き、早くも文明開化の空気を山の中の小さな町にひきいれたこと、その青年のある者は、やがて東京へ出て新聞記者になり、しかも当時世間を騒がせた事件、紀州沖でトルコ人を満載した英国船が難破したという事件があつて、その前後処理について日本政府も微妙な外交関係の板挟みで困つていたところを、その青年が百方奔走し、個人の資格でやつとそれらのトルコ人を本国まで連れて行き、時のサルタン(トルコ皇帝)から賓客扱いをされたという伝説めいた話が少年の彼を感動させたのである。

そんなわけで、現在では、群馬県自治警察K町警察署勤務という肩書のある彼は、親しくそのあこがれの土地を踏み、朝夕上州の自然と人情とに接し、かの進取と仁侠の精神がどこから生れるのかを早く突きとめたいものと心掛けていた。

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