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TORENDIA

幕が下りて

本文約4,200字 ・ 読了時間 約9分

あらすじ(AIが作成しました)

新劇協会による公演や自身の戯曲の上演に携わる著者が、作者兼舞台監督としての悩みや劇壇の現状、芸術活動における目的意識のあり方について綴る随筆。大劇場向きの戯曲不足という課題を抱える中で、小劇団のあり方や演劇界の未来を見据えつつ、作家としての葛藤や舞台への率直な心情を語る。また、後進の育成に力を注ぐ姿勢を示し、先輩や関係者からの批評や助言に対する率直な感謝の念を記す。

岸田國士

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自分が芝居の実際方面に関係してから、まだ半年もたゝないのだが、その間に、色々の経験もなめた。理窟だけを並べてゐた時代には、そんなでもあるまいと思つてゐた劇壇の内情を見聞きするにつけて、私は、自分ながら、飛んでもない処へはまりこんだなといふ気がし出した。「血があれる」といふ言葉が本当によく当つてゐるやうな、さういふ雰囲気を感じ出した。かういふ世界で、本当に自分の仕事をして行く人、何か知ら「とらはれない仕事」をして行く人があれば、その人は、全くえらいと思ひ出した。

私は自分の熱情と、素質に疑ひを持ち出した。

新劇協会は、今、私の『葉桜』を上演してゐる。私は初めて自作の舞台監督をしたが、作者は、――殊にあゝいふ種類の戯曲の作者は、自ら舞台指揮をなすに当つて、最も困難な立場に置かれるものであるといふ事実を知つた。

いろ/\な事情で、稽古は四五度しか出来なかつた。それでも登場俳優があの通り二人きりで、しかも、その二人が、相当、舞台的経験のある人達だから、黙つてゐてもある程度までその役柄を仕活かしてくれるので私は楽なことは楽だつた。実際は監督らしい仕事もしてゐないくらゐである。それといふのが、私の書くやうな戯曲は、舞台監督がどんなに骨を折つても、それほど演出上の効果に変りがないのみか、舞台監督の下手な工夫は、却つて俳優の演技を萎靡せしめるやうな結果になることを知つてゐたから、私は、大体、伊沢、水谷両嬢の「仕易いやうに」といふ消極的態度を取つた。これは、何も、舞台監督としての責任を回避するわけではなく、むしろ、さういふ演出法もあり得るといふ一例を示したつもりである。果して多くの見物は、蘭奢、八重子両嬢の演技に喝采を送つた。

ところで、私が、作者兼舞台監督として、今度はじめて味はつた気持についていへば、作者としての自分は、舞台監督としての自分に少なからず不満を感じてゐるのである。それと同時に、舞台監督としての自分は、作者としての自分に可笑しいほどの気の毒さを感じ、しかも、それは、どうしやうもないといふ自暴自棄に似た逃げ口上をさへ用意してゐるのである。

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