TRENDIA CLASSIC

舞台の笑顔

岸田國士

1 / 3

此の標題は少し曖昧だが、俳優の笑顔を指してゐるのではない。舞台そのものの笑顔を云ふのである。舞台が顰め面をしたり、口角泡を飛ばしたり、めそめそ泣いたり、口を空いてポカンとしてゐたりするのではなく、絶えず――或は少くとも一と晩の半分くらゐは、見物に対し、快い微笑を送る――さういふことを指すのである。

かういふと、すぐに、それは喜劇をやるのかと問ひ返すものがあるだらう。喜劇固より可なりであるが、喜劇に限らず、一見それとは反対な悲劇の場合にしても、その舞台全体の相貌に、ある Accueillant な表情(一種の愛想よさ)を求むることは、現在の新劇を一層われわれに近ける所以だと思はれる。戯曲そのものは云ふに及ばず、俳優の演技にも、舞台の意匠にも、演出のトーンにも、われわれは、今日、あまりに屡々仏頂面に遭遇する。見物に背中を向けるといふところがある。取りつく島のない形である。少し言葉は悪いが「遠方をようこそ」といふ心持が現はれてゐない。これは誤解を招くかも知れぬ。決して見物の御機嫌を取れといふのではない。そんなことなら、大概の営利劇場では、とつくの昔やつてゐる。或は、もつと華やかに、けばけばしく、アクセントをつけろと云ふのでもない。そんなことは、多くの人気俳優が悉く心得てゐる。僕の言はうとするところは、もうわかつてゐる人もあるだらうが、言葉を換へて云へば、見物に無駄な努力を強ひるなといふことである。見物にもつと寛ろいだ気分を与へよといふことである。

かういふ注文は幾分趣味から来るのであらうが、今日の新劇の舞台は、一般に、必要以上暗く、必要以上固く、必要以上力み返つてゐるやうに思はれる。

岸田國士の他の作品