TRENDIA CLASSIC

或る風潮について

岸田國士

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日本人が日本人に向つて日本のことを褒めて話すといふ風潮が近頃目立つやうであるが、これは現在の日本に於いてはたしかにその必要があるからだと思ふけれども、そこにちよつと微妙な呼吸があつて、それほど変でないものと、妙にくすぐつたい、もうやめてくれと云ひたくなるやうなものとがある。日本人でありながら、頭から日本を馬鹿にしてゐたやうな人々に対して、一言警告を与へることはもちろん賛成だ。さうでなくても、日本人は、殊に、日本の知識層は、最近いくぶん日本人であることの自信を失ひかけてゐたことは事実で、その点、もつと楽観的であつてもいゝ理由を強調するものがあつていゝわけである。

殊にいま日本は重大な乗るか反るかといふやうな国家的難関に遭遇してをり、これを乗り切るための国民の覚悟と努力が要求されてゐる矢先であつてみれば、お互に、しつかりしろ、お前は日本人だ、こゝでお前の真の力を発揮しなければならんぞ、と必死になつて励まし合ふといふところにまで来てゐるのかも知れぬ。それならそれでよろしい。が、さういふ単純な掛声ばかりではなささうである。

日本再認識とか、日本主義運動とか日本文化新研究とかいふ気勢の底には、それを明らかに標榜してゐるものもあるが、西欧思想の近代生活面における支配的位置を不当なものとして、少くとも日本を中心とする東亜民族の上に、わが伝統的文化の君臨を翹望する大野心がひそんでゐるやうに思はれる。これ亦決して不都合なことではない。では、なにが、どういふ場合に、われわれの神経にさわるのであらう。日本人が日本人に向つて日本のことを褒めて話すといふ、元来極めてデリケートなことがらを、それと気づかずに話す、その話し方ひとつにあるのである。

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