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TORENDIA

文芸と国語

本文約9,300字 ・ 読了時間 約19分

あらすじ(AIが作成しました)

全国小学校教員国語協議会での講演録。文学者の立場から国語教育の現状と国民の文学的教養について論じる。外国語学習を通じて言葉の生命を発見する実態や、現代日本語の「書かれる言葉」と「話される言葉」の乖離を指摘する。また、教育における実利主義や美談偏重の風潮に疑問を呈し、文学的感性を養うことによる人間尊重の精神の重要性を説く。言葉に対する愛と尊敬を育む教育の在り方を教育者に提言する。

岸田國士

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文芸と国語といふ標題を掲げたのですが、さういふ問題は考へれば考へるほど範囲が広くてどこかに重点をおかなければ短い時間にはお話が出来ません。どこに重点をおくかといふことになりますと、やはり私は文学者の立場から、日頃小学校や中等学校の国語教育と、国民の文学的教養との関係について非常に疑問に思つてゐることがありますので、その点をこの機会に皆さんのお耳に入れておきたいと思ひます。

予めお断りしておきたいことは、私は今日の国語教育について決して専門的な研究をして居るものではありません。また小学校の先生方が現在行つて居られる児童の「読方」又は「綴り方」教授法の是非に関して全責任をおもちになつてゐるとは思つてをりません。たゞ私のごく僅かな観察によりましても、国語の教育は国民文化の発揚の上で、従来当局が考へてゐる以上に重要で且つ厄介なものだといふ事実を知り得たのであります。私はまづ素人くさく、かういふ疑問を提出したいと思ふのであります。国語とは一体どういふものか、どうしてこれを日本語と言はないのか、この国語と日本語といふ二つの言葉の間には著しい語感の違ひがある、この距りは何によつて埋められてゐるのか? 小学校時代にはそれ程気がつきませんが、中等学校へ進んで外国語を習ひはじめると、われわれは、その外国語を通して新らしい一つの世界を発見します。それはある外国の特殊な人情風俗を知るといふやうななまやさしいことではありません。綴られた言葉のひとつひとつが、活きて躍つてゐるのです。もちろん、いちいちの言葉の生命をはつきり掴むのには暇がかゝります。しかし、なんでもない平易なリーダーの文章からでも人間の不思議な呼吸と表情とを感じます。言葉が如何に楽しく語られ、如何に自信をもつて語られてゐるかといふことを見抜くのであります。

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