戦争と文化
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あらすじ(AIが作成しました)
昭和十六年、高度国防国家体制の構築が急務となる中、文化部門の動員が国民の底力を示し、未来への希望となることを論じる。戦時下において生活力の強化が求められ、個々人が高い文化の創造者としての責任を果たす重要性を説く。国民の道義的感情の昂揚や、精神的豊かさである生活のうるおいを保つ意義を提示し、教育、宗教、芸術といった諸領域が国家目的の達成とどのように結びつくべきかについて、当時の視点からその展望を綴る。
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一
昭和十六年の一月、即ちまる二年前、私はラジオを通じて「国防と文化」といふ題の講演をしました。
その草稿がありますから、それをまづ初めに掲げます。
いよいよ事態が切迫して来たやうであります。それに対して国を挙げての準備は整つてゐるでありませうか。
議会でも、質問を中止して、直ちに予算の審議にはひりました。
国家総力戦の真のすがたが、国民一人々々の眼にはつきりわかる時が近づきつゝあります。
われわれはこゝで、国の力といふことを考へてみなければなりません。国の力、即ち国民の力であります。武力といひ、経済力といひ、外交の力といひ、すべてこれ、われわれ日本民族の現実の行為であり、その肉体と精神の火花であります。そして、それらすべてが、広い意味の文化をこゝに示すものであります。
先日、議場に於ける陸海軍大臣の声明が新聞に出てをりましたが、それは誠に意を強くするに足る言葉でありました。
しかし、軍備はいかに充実しても、充実しすぎるといふことはありません。なぜなら、敵国は必ずその上に出ようとするからです。経済力はと申しますと、これまた御承知のとほり、日本はそれほど恵まれてゐるとは云へません。では外交は? 然し、外交の終るところから戦ひがはじまるのであります。
それらに対し、高度国防国家体制の必要がとなへられ、いはゆる文化の部門がその一翼として動員されることになつた理由は、国の力が、まだ、そこにもあるといふことの証拠であります。
そこにもあるどころではありません。私の考へでは、これこそ、国民の底力であり、それによつて明日何かができるといふことであり、それが、未来へのたしかな希望となるのであります。