TRENDIA CLASSIC

日本人とは?

岸田國士

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「大事なこと」とは?

三年間の蟄居生活が私に教へたことは、「なにもしない」といふことの気安さと淋しさである。そして、この気安さと淋しさとは二つのものでなく、ひとつのものであり、それは表と裏、色と艶、光と影のやうな関係でつねに私の心を占めてゐた。もちろん、たゞこれだけの説明では誰にでもすぐにわかつてもらへさうにもない。「なにかをする」といふことにつきもののある精神の状態をひと口に云ひあらはすことはむつかしいが、そこにも必ずあるはずの明暗の交錯を思ひあはせてみれば、そんなものかと察せられるだらう。

ところで、さういふ無為の生活において、ともかくも私が生きてゐたといふしるしは、デカルト風に云へば、いろいろのことを考へないわけにいかなかつたこと、たゞそれだけである。しかも、それらの考へはなにひとつ花咲かず、みのらず、たゞ雑草のやうにはびこつてそのまま今日にいたつてゐる。

たまたま、S君の懇篤なすゝめがなければ、私はそれに手をつけることさへしなかつたらう。が、さて「なにもしない」ことの気安さはこゝで思ひ切るとして、一方の淋しさはいくぶん救はれるであらうか?

実を云へば、それどころの話ではない。もうすでに私は、「なにかをしようとする」自分のうちに、底しれぬ別の淋しさを発見する。もの云へば唇寒しの、あの心懐とやゝちかい、しかし、それともいくぶんちがつた、一種の空虚感である。

われながらまことに始末におへぬ気持であるが、それをいまこゝで追ひまはすことはやめよう。

いろいろのことが、当節、いろいろの人によつて言はれてゐるのをみると、それは意識されてゐるゐないは別として、如何に今日はものを言ふのに危つかしい時代かといふことがわかる。危つかしいといふ意味は、いはゆる言論の自由不自由などといふことと関係のない、精神内部の問題である。

さういふ風にみていくと、今日ほど、ものを言ふことが自分自身を試みることであり、さらに、自分を裸にして弄ぶにひとしいことを感じさせる時代はないやうに思ふ。それゆゑに、今日ほど、また、「沈黙」が良心にとつて易々たる時代はないとも言へるのである。

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