「文芸時代」が創刊されて間もなく、私がたしか第二作の「チロルの秋」を発表した直後、菅忠雄君から同人にならぬかといふ勧誘をうけ、会場はどこだつたか覚えてゐないが、その同人会といふのにはじめて出席した。十数人の血気さかんな同人諸君といつしよに、横光君とも初対面の挨拶をした。その時の印象は特にきわだつてどうといふこともなかつた。その後、住ひが近所であつたりした関係で時々は顔を合はした。年も随分違つてゐたし、それほど親しい友達づきあひではなかつた。しかし、なんとなくうちうちといふ感じがして、たいがいのことはわかり合つてゐるつもりでゐた。極めて無口な方で、こつちから誘ひ出さなければ物を言はぬやうなところもあつたが、いつたん興に乗ると、ずいぶん話のはづむこともあつた。理屈はあまり得意な方ではなく、そのかはり、いろいろなことを、ひとひねりした考へ方で、ずばりと言ひ、それがいつでも、印象的な面白い表現になつてゐて、私を楽ませた。しかも、さういふことがちつとも不自然でなく、彼と対ひ合つてゐると、類のない人柄の温かさが先づこつちの気持をとらへ、彼が自分でもどうすることもできなかつたに違ひない鋭い感受性とナイーヴな好奇心のめまぐるしい交錯を、私はたえず多少の危惧を交へた感嘆の眼で打ち眺めてゐた。作家としての横光君の独自な技法の秘密は、おそらく意識的に奇警な表現を試みることではなく、むしろ、彼にあつては極めて宿命的とも思はれる観念の幻影に身を委せる一途があつたのみである。そこからかの「言葉の盆栽」が滾々として湧き出たのだと思ふ。豊かな才能を含めて、彼のうちにある厳しさと脆さは、人間としての彼に一種の美しい精神の像を与へてゐた。それは例へば英雄の痴情のやうなものかと思ふ。誰にでも感じられる彼の魅力のうちには、九州の「にせさん型」にみるそれと同じものがあつた。年少の友人や読者に特に「思慕」された所以もこゝにあるのではないか。