人間カザノヴァの輪郭
本文約10,500字 ・ 読了時間 約22分
あらすじ(AIが作成しました)
十八世紀のヴェネチアに生きたジャック・カザノヴァの回想録を読み解き、その人物像を考察する。自身を自由人と信じ、欧州各地を渡り歩きながら多種多様な職業を転々としたカザノヴァの生涯を辿り、彼がいかにして封建的な制度や社会の枠組みの中で逞しく生きたかを記述する。当時の民衆に芽生え始めた自律的な精神と、彼が体現した妥協なき生のあり方を通じ、人間解放の過程における一つの典型的な姿を論じる。
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一
カザノヴァの回想録を訳しはじめてみると、いろいろな問題が自分にも起こつて来るし、この書物の解説といふやうなものが同時になくてはならぬといふ気がするので、既に世にあらはれている文献をできるだけ探す一方、自分自身のメモもひと通り作つておきたいと思つてゐる。これから二十巻ぐらゐに分けてつぎつぎに刊行する予定の訳本に、いくらかづゝでもそのノートをのせるやうにしたい。
「人間カザノヴァ」は、私が今、一番興味を惹かれてゐる「人間の典型」の一つである。
十二三年前のこと、私はふとカザノヴァを読んでみる気になつた。フラマリオン版の古典叢書で全八巻といふ大部なものだが、私は一と夏かゝつてぼつぼつ読んだ。時には読み耽るといふ状態に自分で気がついて、やゝそらおそろしくなることもあつた。
ともかく、天下の珍書である。そして、私のこの書物から受けた印象から云へば、カザノヴァといふ人物は、聞きしにまさる「痛快な男」である。
もちろん、稀代の漁色家といふ一面で、ドン・ファンの向ふを張る腕前は、さすがに名声に恥ぢないものではあるが(ドン・ファンとの比較は古来好事家の間で屡行はれてゐる。カザノヴァ論には欠かすことのできない重要な一項目である)、この十八世紀の生んだヴェネチア人は、決してそれだけの代物ではない。これはまさしく、人間の歴史が永く記念すべきエポック・メーキングで、ヨオロッパ人はあるひはそれほどにも思はぬかもしれぬが、われわれ東洋人の眼にうつる彼の人間像は、過去現在を通じて、最も注目すべき一つの典型、「解放の途上にある」人間の、ある特殊な条件のもとに示された裸のすがた、しかも、極めて逞しい、魅力に富む裸のすがたなのである。