TRENDIA CLASSIC

速水女塾に就ての雑談

岸田國士

1 / 3

去年の一月、久しぶりで文学座の公演をみていろいろ感慨にふけつた。自分も創立者の一人であるこの劇団の成長はまづよろこぶべきものとして、さて、十年の月日は私個人をまつたく芝居から引きはなしてしまつたことに気づき、これでいゝのだらうかと考へた。いゝもわるいもない。さうならざるを得ない事情が私にはあり、芝居の方からいへば、私一人がどうならうと別にかまわぬわけである。しかし、すくなくとも、文学座が存在し、そのなかには築地座以来一緒にやつて来た仲間がかうして相変らず熱心に舞台の仕事をつゞけてゐるのをみると、やはり、自分は怠けてゐたといふ気がして、みんなに済まないと思ふやうになつた。すると、自分にもまだなにかできるなら分に応じた手伝ひをしやうといふ奮発心が起り、それには、まづ、なによりもしばらく書く興味を失つてゐた戯曲をひとつ書いて、文学座の諸君にやつてもらはうと思ひ立つたのである。それが去年の三月のことである。八月の公演に間に合ふやうにといふ座の希望もあつて、六月には第二稿(中央公論発表の第一稿に手を加へたもの)ができあがつた。ところが、ある故障のために予定が変り、今日までまる一年上演を差控えてゐたといふ次第である。

一座の俳優にあてはめて脚本を書くといふことは、なにか不純な要素がはいるのではないかと思ふひともあらうが、別に必然的にさうなるものとは限らない。芝居の制約はそれ以外にもつと大きなところにある。たゞ、すべての芸術がさうであるやうに制約を生かすか、或は制約に緊られるかの問題だと思ふ。制約を生かすといふことは、俳優の例にもある。

「速水女塾」を書くに当つて、私が自分に与へた「註文」はかうである。

岸田國士の他の作品