1 劇をやるのは何のためだろう
子供たちが集まって劇をするということは、楽しい遊びであると同時に、おたがいの勉強であるということを忘れないようにしたい。
楽しい遊びであるからには、思う存分、自分が面白いと思うように、そして、人も面白がるようにやるのがいい。自分だけが面白く、人にはそれほど面白くないというようなやり方、あるいは、人を面白がらせようとばかりあせって、自分はそのためにかたくなったり、したくないことをしたりするのは、たいへんまちがったやりかたである。
劇というものは、がんらい、見せる方と、見る方とたがいに力をあわせ、気もちをそろえて、そこにできあがる美しい全体の空気を楽しむものなのである。
見せる方だけがいっしょうけんめいになり、見る方はそれをただ、じょうずだとか、へただとかいって、見ているのは、ほんとうに、子供たちの楽しい劇とはいえない。それは、いろんなよくない結果を生むはじまりである。
劇がおたがいの勉強になるという意味は、劇にしくまれた「物語」の内容が、なにかしら新しいことを教えるばかりではない。第一に、劇というものは「話し言葉」のもっとも生き生きとした使い方、人間の表情のもっとも正しいあらわし方によって、ひとつの面白い場面がつくりあげられるのだから、劇をほんとうに面白いものにするためには、どうしてもみんなが、「話し言葉」の美しさと、表情のけだかさとを身につけ、それを正しく読みとる訓練をしなければならない。
美しい「話し言葉」や表情は、役者や俳優を職業とする人たちにかぎらず、すべての人間に必要なことであって、それはちょうど、自然の美しい風景をながめたときと同じように人の心をひきつけ、印象づけて、こころよい感じをあたえる。
昔から、「話をしてみるとどんな人間かわかる」といわれているように、「話し言葉」や表情によって、その話そうとすることがら以外に、その人の年齢、男と女の区別、性格、教養の高い低い、職業、またはどこの国かとか、なんの時代かまではっきりとあらわれるものである。