劇の好きな子供たちへ
本文約7,500字 ・ 読了時間 約15分
あらすじ(AIが作成しました)
子供たちの集団による劇作りを論じる。演じる側と見る側が互いに協力し、美しい舞台空間を共有する喜びや、物語を読み解き話し言葉を磨く訓練の重要性を説く。さらに、脚本をもとに役者が自身の空想と才能で登場人物に命を吹き込む過程や、演出家を筆頭とした分業体制の意義を解説する。劇を社会の縮図と捉え、協力精神と責任感を育むことで、より良い社会を築くための素養を養うことの意義を綴る。
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1 劇をやるのは何のためだろう
子供たちが集まって劇をするということは、楽しい遊びであると同時に、おたがいの勉強であるということを忘れないようにしたい。
楽しい遊びであるからには、思う存分、自分が面白いと思うように、そして、人も面白がるようにやるのがいい。自分だけが面白く、人にはそれほど面白くないというようなやり方、あるいは、人を面白がらせようとばかりあせって、自分はそのためにかたくなったり、したくないことをしたりするのは、たいへんまちがったやりかたである。
劇というものは、がんらい、見せる方と、見る方とたがいに力をあわせ、気もちをそろえて、そこにできあがる美しい全体の空気を楽しむものなのである。
見せる方だけがいっしょうけんめいになり、見る方はそれをただ、じょうずだとか、へただとかいって、見ているのは、ほんとうに、子供たちの楽しい劇とはいえない。それは、いろんなよくない結果を生むはじまりである。
劇がおたがいの勉強になるという意味は、劇にしくまれた「物語」の内容が、なにかしら新しいことを教えるばかりではない。第一に、劇というものは「話し言葉」のもっとも生き生きとした使い方、人間の表情のもっとも正しいあらわし方によって、ひとつの面白い場面がつくりあげられるのだから、劇をほんとうに面白いものにするためには、どうしてもみんなが、「話し言葉」の美しさと、表情のけだかさとを身につけ、それを正しく読みとる訓練をしなければならない。
美しい「話し言葉」や表情は、役者や俳優を職業とする人たちにかぎらず、すべての人間に必要なことであって、それはちょうど、自然の美しい風景をながめたときと同じように人の心をひきつけ、印象づけて、こころよい感じをあたえる。
昔から、「話をしてみるとどんな人間かわかる」といわれているように、「話し言葉」や表情によって、その話そうとすることがら以外に、その人の年齢、男と女の区別、性格、教養の高い低い、職業、またはどこの国かとか、なんの時代かまではっきりとあらわれるものである。