述懐
本文約4,200字 ・ 読了時間 約9分
あらすじ(AIが作成しました)
パリの下宿で突如として大喀血に見舞われた著者は、長きにわたる結核との闘病生活を送る。経験を通じて病気との向き合い方を学び、精神の安静と主治医の指導を守ることの重要性を説く。本書は、結核という個人の病を通して、日本人の生活習慣に潜む「疲れ」や「休む技術」の欠如を指摘し、より健康的な生活のあり方や、病と共生しながら自身の仕事を全うする生き方について論じる。
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真夜なかにふと眼が覚めた。パリの下宿の一室である。どうして眼が覚めたのか、と、その瞬間、自分にもわからなかつた。夢を見てゐたやうな気もするが、どんな夢か覚えてゐない。たゞ妙に口の中がなまぐさく、さう気がつくと、顔に冷たいものが触れ、夜具の襟をそつと撫でてみる。べつとり濡れてゐる。傍らの台ランプに火を点ける。すると、私の上半身が、正面の戸棚の鏡に映つてゐる。私は愕然とした。
なんの予告もなく、前日まではぴんぴん飛びまはつてゐた私に、喀血、しかも、眼をおほひたくなるやうな大喀血が見舞つたのである。
私は着物を着かへ、寝床の始末をし、静かに、再び横になつた。
「やつぱり直つてゐなかつたのか」と、その時、私は、自分の病歴を想ひ出した。
十六の時、幼年学校在学中、軍医から肺尖カタルの宣告を受けて三月ばかり入院したことがあり、十八歳の時、士官候補生として九州の連隊で勤務中、同じ病名で二月あまり別府の療養所へ送られたことがある。そして、任官後、その病歴が役に立つて、軍籍を離れることができたのである。
それから、三十三になるまで、胸の病気などといふことは考へたこともなかつた。
専門医の診察を受けると、さう心配するほどの容態ではないから、しばらく転地でもして、からだを休めろといふので、私は、無理をしてピレネエ山麓にある避寒地ポオといふ街へ出かけた。が、その後別にからだの調子もわるくないので、すぐにパリへ舞ひ戻つて、芝居見物を毎晩つゞけた。
日本へ帰つたのは、それから半年後であるが、学校の教師をはじめると間もなく、血痰をみるやうになり、医者のすゝめで、私は学校をやめて辻堂海岸に移つた。ぼつぼつ書きものをしてどうやら生活の資を得られるやうになつてゐたからである。