TRENDIA CLASSIC

北海道の性格

岸田國士

1 / 4

私が最初に北海道の土を踏んだのは、今から四十いく年か前のことで、たしか十六か十七の時であった。

父が九州小倉の師団から旭川へ転任になり、一家を挙げて新任地へ移って行ったので、当時東京中央幼年学校に在学中であった私は、夏休みに、まったく見知らぬ土地へ帰省することになったわけである。従って、父の在任中、ふた夏を北海道で過す機会を得たので、いくぶん土地との親しみもついてゐる。

その上、現在小樽高商出の佐竹佐武郎の許に嫁した末の妹は、旭川で生れたといふので、父が朝子と命名した由来も知ってゐるし、先年物故した次弟は、函館商船学校に学んだ経歴があったし、もっと遡れば、慶応で長く教鞭をとってゐた叔父は、札幌農学校の初期の学生であったと聞いてゐる。

こんな因縁話は誰にでもありさうなことだけれど、私の場合は、少年時代から今日までに捉へ得た北海道のすがたは、断片的な印象としてではなく、土地全体の概念として、一種奇怪な迫力をもって、常に記憶と想像の中に蘇って来るのである。

これは私の貧しい地理学の中で、まったく他に例のないことである。事実、内外を通じて、私の歩いた土地はかなり広いつもりであるが、いかなる驚異も感動も、時がたつにつれて、それは単なる回顧の霧のなかに包まれるか、せいぜい、郷愁の如きものの募るにまかせ、再遊の願望が燃えるくらゐのものである。

ところが、北海道となると、特にこれといって懐しい思ひ出があるわけでなく、とり立てて礼讃したいやうな場所を挙げることもできないのに、たゞ、なんとなく、その名が私の胸を強く打つ所以は、いったいどこから来るのであらう?

それは、異境にあって帰国を想ふ情ともむろん同じではない。第一、北海道は、私の郷里でもなんでもないのである。

では、私の知ってゐる限りで最も好ましい土地といへるか? 必ずしも、さうとは言へないやうだ。

いろいろと考へてみて、私はまだ、はっきり、その理由を指摘することができないのである。

岸田國士の他の作品