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TORENDIA

「浅間山」の序に代へて

本文約1,600字 ・ 読了時間 約4分

あらすじ(AIが作成しました)

戯曲集を編纂するにあたり、自身の近作に対する苦悩や試行錯誤を綴る。職業俳優への書き下ろしにおける制約や、表現上の葛藤、新たな方向性を模索する姿勢を吐露する。また、収録した各作品の執筆動機や背景、劇作としての試みや上演への所感を詳しく述べる。本書を自身の創作過程における一つの記録と位置づけ、それぞれの作品が持つ背景や意図について、座談のような形式で読者へ解説し、劇作家としての内省を記した一冊である。

岸田國士

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🎧 「浅間山」の序に代へて / 朗読音声: VOICEVOX:波音リツ

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私は、嘗て雑誌に発表した作品を、更に単行本に纏める場合、大概、一度は躊躇するのである。これは私に限らず、多くの作家はさうであらうが、時を経て読み返すと、自分の書いたものぐらゐつまらぬものはないからだ。

だがしかし、兎に角、本にしておきたい欲望もあるにはあつて、ひと通り、手を入れたり目次を考へたりする。私は、これで何冊目の戯曲集を出すことになるか、恐らく、今度くらゐ内容の取捨に迷つたことはない。

なぜかと云へば、私は、最近、いろいろな「試み」をやつてみて、それが「試み」としては相当の役目を果したと考へられるが、出来上つたものとしては、かなり純粋さを欠き、殊に自分のものになりきらない一種の「ぎごちなさ」が目立つて、誠に気恥かしいのだ。それでもそれを入れないと、私の近業といふ名目は立たないことになる。思ひ切つて、その二三を加へる決心をした。

「浅間山」は、当時あるところでも言つた通り、私が劇場側の希望により、「現在の職業俳優」に充てはめて書いたものである。しかし現在の職業俳優に充てはめて書くといふことは、その役柄を頭において人物を作り出すといふことだけでなく、現在の観客層に愬へるべく内容並びに形式の撰択にある程度の制限を加へることであり、且つ直接は、それらの俳優がもつ「演技の伝統」を考慮に入れ、人物の心理、性格の型、白の用語等についても、なるだけ、無理を避けたいと思つたのである、その結果はどうかといふと、果して、脚本そのものに、新味が乏しく、在来の舞台的臭味が生じ、それを蔽ふために却つて生硬な「文学調」が混入してしまつた。作者未熟の故であることは云ふまでもないが、畑違ひの悲しさである。但し、この試みは無意義に終らなかつた。私に、これを再びすることを断念させたからである。

「序文」は、これも発表当時「あとがき」で断つた通り、「戯曲の形を藉りた楽屋噺」であり、云はゞ一席の座談として読んで貰へばいゝのだ。

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