私は最初戯曲家として出発し、今でもその方が専門のつもりでゐるが、戯曲を書きつづけるためには、なにかしらもつと刺激がいるといふ気がする。芝居そのものに興味がもてるやうな状態でなければ駄目である。
そこへいくと、小説の方は、少くとも新聞雑誌の長篇小説といふものは、引受けたら最後、責任を果すまでは、ある軌道に乗せられて、目に見えない力と取つ組みあつて行かねばならぬ。途中で息が切れさうになることもあるが、それを我慢して押し通すところに、一種の張合が生じる。
戯曲も小説も含めて、これが純文学かどうかといふやうなことを、私はさう問題にしてゐない。さういふ標準は、文学的には微妙な精神の機能にあるのだから、作家が意識的にこれを求め得る部分よりも、無意識のうちにそこへ導かれる部分の方がより多いのだと信じてゐる。
狭いといふことはたしかに、純粋へ通じるひとつの近道である。しかし、私の作家としての希ひは、なによりも、「幅をもつ」といふことである。
人間に於ては心理を、社会に於ては風俗を、私の眼は常に追ふ。生活はその雰囲気に、思想はその在りやうに、私の興味はおほかたつながる。現実への懐疑と、理想への信頼とは、私のうちにあつて、決して矛盾はしないのである。
この集に収めた小説二篇は、それぞれ新聞と雑誌に連載したもので、比較的最近の作である。
「暖流」は昭和十三年春から秋へかけて東朝大朝の朝刊に書いた。
発表に先だち、紙上に次のやうな文章を「作者の言葉」として掲げた。
大きな病院の窓に灯がついたり消えたりする。それは幾百の男女の生命の不安なをののきとも見られるが、また同時に、その病院の建物――院長の家族を始め、そこに職場をもつ人々を含めて――の繁栄と衰滅の境を暗示してゐるのである。
こゝに一人の男がある。まだ夢を失つてゐない年である。しかも彼の手に委ねられたのは、希望のない事業と恩人一家の救ふべからざる運命であつた。彼は苦悶した。美しい二人の女性が立ち現はれる。純情は踏み躙られるかに見え、一人一人の心は冬のやうに寒い。