「序文」まへがき
本文約1,100字 ・ 読了時間 約3分
あらすじ(AIが作成しました)
若き友人・内村直也が選出した戯曲集について、各作品の創作意図や背景を綴る。フランスの肖像画家とマルセル・プルウストを対談させる心理風景を描いた「序文」、独白形式への野心から生まれた「顔」や「モノローグ」、社会記事を題材とした「クロニック・モノロゲ」、そして日常生活の戯画化を試みたファルス「可児君の面会日」の四篇を収める。執筆当時の作者の関心や創作における試行錯誤の過程を回顧し、客観的な作品集としての側面を明らかにしている。
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この四篇を特に撰んでくれたのは、私の若い友人内村直也君であるが、戦後ほかから出版された戯曲集と重複しないやうにといふ配慮のほかに、私の全作品を通じて、それぞれ異つた傾向を示すものを一つづゝ拾ひ出すつもりだつたやうである。その目的はたしかに達せられてゐると思ふ。そして、作者が自分でさういふ撰び方をするよりも、ある意味では面白い結果が生じてゐる。なぜなら、この目次をみて、作者としては、なんとなく注文をつけたいやうな気もしないではないが、わざとそれはせず、いさぎよく観念の眼を閉ぢることにした、といふところに、この集の客観的価値とでもいふべきものがはつきり現はれてゐるからである。
従つて、これらの作品の一つ一つについて、作者は更めて弁解じみた解説は加へないことにする。たゞ、年代順から言ふと、「可児君」が最も旧く、「序文」が一番新しい。
「序文」は私の他のすべての戯曲作品と異り、上演といふことは全く考へないで書いた。あるフランスの肖像画家のエッセイ集をたまたま手に入れて読んでみると、その巻頭に、マルセル・プルウストの序文がのつてをり、その序文がなかなか意味深長で面白いと思つてゐると、そのエッセイ集の続巻ともいふべきものに、こんどは、著者自身が、プルウストの序文をもらつたいきさつと、その序文に応へるやうな前書きを書いてゐて、それがまた私の興味を惹いた。そこで、この画家とプルウストとを対談させる場面が私の頭に浮び、戯曲体による一つの心理風景がすらすらと書けた。プルウストの作品を少しは読み、その時代的背景にいくらか通じてゐる人でなければ、この一場面は、多少親しみにくいのではないかと思ふ。