硯箱と時計
本文約4,000字 ・ 読了時間 約8分
あらすじ(AIが作成しました)
小学校の優等生として殿様から御定紋付の硯箱を授与されることを目指した石之助は、猛勉強の末に目標を達成する。その後、中学校でも優秀な成績を収め時計を授与されるが、進学先で殿様本人に面会した際、これらは家令による独断の賞品であり、殿様自身が落第生であることを知る。殿様から学問の本質を諭された石之助は、栄達のための学習を改め、医師を志して真の学問に邁進し、やがて大学を卒業して立派な医者へと成長する。
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石之助が机にむかつて、算術をかんがへてゐますと、となりの金さんが来て、
「佐太さん。石さんはよく勉強するね。きつと硯箱になりますよ。」と、言ひました。すると佐太夫は、
「いいえ。石之助はとても硯箱にはなれませんよ。硯箱になるのは、あんたの所の茂丸さんですよ。」と、申しました。
ふすまのこちらで、お父さまと金さんの話をきいてゐた石之助は、へんなことをいふものだなあと思ひました。
しばらくして、金さんが帰つたので、石之助はすぐ、お父さまの所へ行つて、
「僕が、硯箱になれないつて、何の事ですか。」と、きいてみました。
石之助が、あまり不思議さうな顔をしてゐるので、お父さまは、ひざをたたいて笑ひながら、
「狸が茶釜になつた話はあるが、人間が硯箱になつた話は、きいたことがない。こりやあ、私たちの言葉のつかひ方が悪かつた。硯箱になるのは、茂丸さんか、お前か、どつちだらうと言つたのは、かういふわけだ。」と、云つて、お父さまは、硯箱になるといふ話を説明しました。
「石之助、お前は殿様のお名前を、知つてゐるだらう。」
「知つてゐます。山野紀伊の守です。」
「さうだ。元は三万八千石の殿様で、今は子爵様だ。東京にゐらつしやる。」
「馬に乗るのが上手でせう。」
「その殿様は、もう、お亡くなりになつて、今は若殿様が子爵さまになつてゐられる。山野紀伊の守様が、東京へお引越になられてから、もう五十七年になる。その間に一度もこの町へお帰りにならないので、この町の人たちは、だんだんと、殿様の事を忘れてしまひさうだ。昨年若殿様が御病気なされた時、ひとりも、お見舞ひの手紙をさし上げたものがなかつた。それは町の人もわるいが、五十七年間、一度もこの町へおいでにならなかつた殿様も悪い。そこで、殿様とこの町の人たちが、もつと仲よくなるために、今年からこの町の学校を卒業する優等生に、殿様から御褒美を下さることになつたのだ。中学校の優等生には鉄側時計、女学校の優等生には銀側時計、小学校の優等生には硯箱を下さるんだ。御定紋のついた硯箱だよ。」
お父さまが、それだけ言つた時、石之助は、
「わかつた、わかつた。僕その硯箱をほしいなあ。」と、云ひました。