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TORENDIA

行乞記

本文約14,100字 ・ 読了時間 約29分

あらすじ(AIが作成しました)

熊本の庵で隠遁生活を送る種田山頭火が、行乞の傍らで執筆した日記を収める。師走から立春までの日々の暮らしを綴り、質素な食事や人々の親切に感謝しつつ、自らの孤独や生活の機微を俳句と共に描く。各地の知友との交流や妹からの支援に支えられ、放浪の旅から離れた静かな庵での思索を通じて、生きることの意味や日常の安らぎを見出す過程を叙述する。

種田山頭火

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十二月廿八日 曇、雨、どしや降り、春日へ、そして熊本へ。

もう三八九日記としてもよいだらうと思ふ、水が一すぢに流れるやうに、私の生活もしづかにしめやかになつたから。――

途上、梅二枝を買ふ、三銭、一杯飲む、十銭、そして駅で新聞を読む、ロハだ。

夕方から、元坊を訪ねる、何といふ深切さだらう、Y君の店に寄る、Y君もいゝ人だ、I書店の主人と話す、開業以来二十七年、最初の最深の不景気だといふ、さうだらう、さうだらうが、不景気不景気で誰もが生きてゐる、たゞ生きてゐるのだ、死ねないのだらう!

晴れた朝の悲しいたよりだつた(寸鶏頭君の病篤し)

・酔へば人がなつかしうなつて出てゆく

師走夕暮、広告人形がうごく

久しぶりに話してゐる雨となつた

どしやぶり、正月の餅もらうてもどる

・どうなるものかとはだしであるく

暮れてまだ搗いて餅のおいしからう

濡れて戻つて机の塵

Sがお正月餅を一袋くれた、餅、平餅、粟餅、どれもこれもありがたくいたゞいた、元坊のところでも搗きたてのホヤ/\餅をおいしく食べた。……

寝床の中でつく/″\考へる、――私は幸福な不幸人だ、恵まれた邪宗徒だ、私はいつでも死ねる、もがかずに、従容として! 私にはもうアルコールもいらない、カルモチンもいらない、ゲルトもいらない、フラウもいらない、……やつぱりウソはウソだけれど、気分は気分だ。

十二月廿九日 晴、紺屋町から春日駅へ、小春日和の温かさ。

或る人へのたよりに、『……こゝへ移つて来てから、ほんたうにしづかな時間が流れてゆきます、自分自身の寝床――たとへそれはどんなにみすぼらしいものであつても――を持つてゐることが、こんなにも身心をおちつかせるかと、自分ながら驚いてをります、ちようど、一茶が長年待ち望んでゐた家庭を持つた時のよろこびもこんなだつたらうと、ひとりで微苦笑を禁じえませんでした。……』

ぶら/\歩いてゐるうちに、酒が飲みたくなつて、飲むだけの十銭は持つてゐたので、一杯ひつかけた、漬物、皿、炭、等々を買つたら、もう財布には一銭銅貨四枚しか残つてゐない。

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