大戦脱出記
本文約40,700字 ・ 読了時間 約82分
あらすじ(AIが作成しました)
スペインに滞在していた著者は、ドイツとソビエトの不可侵条約締結により欧州の情勢が悪化する中、パリへ引き揚げることを決意する。フランスへ国境を越え、パリの大使館へ連絡を取った後、混雑する列車を乗り継いでイギリスへ渡る。ロンドンで戦争の気配を感じながら過ごした著者は、その後アメリカを経由して日本へ帰国するまでの道中を記録する。緊張が高まる世界情勢の中で、移動を続けた体験と見聞を綴る。
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一 パリとの通話
エスパーニャに居る間に中歐の形勢はどんどん惡化して行つた。
ドイツが突然ソヴィエトと握手したといふ報道がサン・セバスティアン(公使館所在地)に傳はつたのは八月二十二日(一九三九年)だつた。その朝私たちは食卓で前の日に見た鬪牛の話をしてゐた。そこへ入つて來た矢野公使にその話を聞かされた時は驚いた。ソヴィエトとドイツが不可侵條約を結んだとすれば、今までの防共協定なるものは同時に無意義なものになつたわけだ。世界の動向は全くわからない。
ドイツの行動が毎朝毎夕新聞を賑はした。ダンチヒにはドイツの大軍が集結してゐる。「廊下」の恢復は避けられないだらう。ポーランドは抵抗しないで蹂躙に委せる筈はない。英佛はさうするとどんな態度に出るだらう? そんなことが考へられた。
エスパーニャの自然や都市や生活や古い建築や美術を見て歩く間にも、斷えずそのことが頭の中から離れなかつた。初めはもつとゆつくりした氣持で見學がつづけられるつもりであつたし、矢野氏も私たちがあまり忙しなく大陸を歩きまはつてゐたのを知つて、一つは休養のために呼んでくれたのであつたが、若しかして戰爭でも始まつたら、私たちは日程を變更しなければならなくなるだらう。私たちはローマ大學で教へてゐる長男と月末にはパリで落ち合つて、一緒にもう一度イギリスへ行き、スコットランドを旅行しようと約束してあつた。その旅行にはベルリンにゐる谷口君も加はる筈だつた。しかし、それが實行できるだらうかといふ不安があつた。
二十四日に、ブルゴス、バレンシア、エブロー、ヴィットリアなどの旅から歸つて見ると、ローマの素一から手紙がとどいてゐて、中歐の情勢が險惡だからスコットランド行はできるかどうかわからなくなつたが、とにかく月末にパリまでは行くつもりだとあつた。それはドイツとソヴィエトの不可侵條約發表前に書いたもので、九月二日から五日まで開催の豫定のナチ黨大會で今後の形勢は決定するだらうとあつた。その頃、ローマではさう見てゐたのだらう。……