意慾的創作文章の形式と方法
本文約7,700字 ・ 読了時間 約16分
あらすじ(AIが作成しました)
作家の意慾と計算による文章の構成について論じる。小説において、ありのままの写実は芸術の本質ではない。真の芸術は、作家が自身の精神という角度から現実を選択・歪曲し、読者に納得させる幻影を創造することにある。文章は独立した美しさを競うものではなく、小説全体の効果を最大化するために必要不可欠な事柄のみを、精密な計算と配置によって完膚なく描き尽くすものであるべきだと説く。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
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一
小説の文章を他の文章から区別する特徴は、小説のもつ独特の文章ではない。なぜなら小説に独特な文章というものは存在しないからである。
「雨が降った」ことを「雨が降った」と表わすことは我々の日常の言葉も小説も同じことで、「悲しい雨が降った」なぞということが小説の文章ではない。
勿論雨が「激しく」降ったとか「ポツポツ」降ったとか言わなければならない時もある。併し小説の場合には、雨の降ったことが独立して意味を持つことはまず絶対にないのであって、何よりも大切なことは、小説全体の効果から考えて雨の降ったことを書く必要があったか、なかったか、ということである。
小説の文章は必要以外のことを書いてはならない。それは無用を通りこして小説を殺してしまうからである。そして、必要の事柄のみを選定するところに小説の文章の第一の鍵がある。
即ち小説の文章は、表現された文章よりもその文章をあやつる作者の意慾により以上重大な秘密がある。作家の意慾は表面の文章に働く前に、その取捨選択に働くことが更に重大なのだ。小説の文章は創作にも批判にも先ず第一に此の隠れた意慾に目を据えなければならない。
愚劣な小説ほど浅薄な根柢から取捨選択され一のことに十の紙数を費すに拘らず、なお一の核心を言い得ないものである。それにひきかえ傑作の文章は高い精神によって深い根柢から言い当てられたもので、常にそれなくしてはありえなかったものである。
二
前述のように、まず意慾が働いてのち、つづいて表現が問題となる。
一般の文章ならば、最も適切に分り易く表わすことが表現の要諦である。この点小説の文章も変りはない。併しながら小説には更に別の重大な要求があるために、必ずしも適切に分り易くのみ書くわけにいかない。