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TORENDIA

風流

本文約9,300字 ・ 読了時間 約19分

あらすじ(AIが作成しました)

戦後六年を経た日本各地を旅行した著者は、戦災を免れた都市の貧寒な庶民住宅と、戦争の惨禍を即座に忘却し、置かれた悪環境を「風流」として甘受する国民の気風に直面する。著者は、どのような強制にも適応し、間に合わせの生活に満足するこの「風流」という心境が、いかにして主体的な改善や真の文化の発展を阻害し、過去の独裁的な体制へ回帰させてしまうのかを論じる。本書は、戦争の教訓すら無効化しかねない日本人の根深い処世術とその危うさを浮き彫りにする。

坂口安吾

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今年いっぱい、日本諸国をかなり足まめに旅行した。人家と山の多いのが、目にしみる。

戦災をうけない都市が、戦災都市と同じように掘立小屋のマーケット街を新作し、屋台店で大道の半分を占領し、戦災都市の窮余の悲風をわざと再現しているのが異様であった。これを日本の風流というのかも知れんと考えた。

それが流行ならば穴居住宅にまで退行するのはそう面倒なことではなく、穴の中にカストリ銀座をつくって間に合せられる風流の持主ではないかと思ったのである。

流行によってそうなるのはまだしも見どころがあるが、ムリヤリ押しつけられた悪生活条件を甘受し、それになれ親しみ、間に合せることを人生の本義とみる気風があって、その気風から発した人生のたのしみ方が風流であるようにも思った。

多くの庶民の気風がそうで、各人各様に風流をたのしみ、間に合せて満足するうちは結構であるが、そこからお説教が現れ、風流や美についての論議や奥儀のみならず、生き方や道徳の深遠な理窟や規定も現れてくると、曰く不可解の謎となり、神仏の霊感や悟道に通じて天上地下の迷路を駈けめぐり、人の素直な気風からは手に負えないもの、煮ても焼いても食えないものになってしまう。

先般、宝塚で「虞美人」を見たら、ホンモノの馬と象が舞台に登場した。変哲もないことだ。実に当然なことでもある。それを使用しても面倒のいらぬ条件ができたから使用しているだけのことであろう。それは理窟ぬきのもので、それを使用するための美学などを要しない問題である。

ところがそれを(馬と象には限らない。すべて過去には制約せられたモロモロのものを)昔の型通りに今も使用しない歌舞伎とか日本の古典芸術というものは、それを使用しないことについて一と理窟や美論がつくから、暗く、ねじくれて難解である。

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