「伽羅枕」及び「新葉末集」
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あらすじ(AIが作成しました)
尾崎紅葉の「伽羅枕」と幸田露伴の「新葉末集」の両作品を論じる。紅葉は武士の落胤・佐太夫を、露伴は釜師のなれの果て・道也を主人公に、遊廓を舞台とした理想的な人物像を描き出す。両者は実写と空想という異なる作風を持ちながらも、元禄文学の心髄を追う点で共通している。本作は、好色的な恋愛を肯定する元禄的な理想に引きずられる明治文学の現状に対し、人間の霊的な恋愛の尊さを失うことを懸念し、文学の在るべき姿を鋭く問い直す批評である。
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一は実を主とし、一は想を旨とする紅葉と露伴。一は客観的実相を尚び、一は主観的心想を重んずる当代の両名家。紅葉は「伽羅枕」を、露伴は「辻浄瑠璃」を、時を同うして作り出たり。此二書に就き世評既に定まれるにも拘らず、余は聊余が読来り読去る間に念頭に浮びし感を記する事となしぬ。
余は二作を読み了りける後、奇しくも実想相分るゝ二大家の作に同致の跡瞭然見る可き者あるを認めぬ。従来の諸作は分明に紅葉をして細微なる人情の観察者たらしめ、露伴をして逸調の奇想を吐く者たらしめたるに、不思議にも「伽羅枕」及「新葉末集」に至りて、両家の意匠の、其外部の形式の如何に拘らず、陰然相似たる所あるが如し。
紅葉の佐太夫は女性にして、露伴の道也は男性なり。然れども両著者の意匠中に入りて其奥を窺へば、佐太夫も道也も男女の境を脱して、混沌として唯だ両主人公の元素同一なるを認むべきのみ。佐太夫とは歴々武士の落胤、道也とは名家釜師のなれの果て、其生立を聞けば彼も母一人此も母一人、彼は娼家に養はれ、此は遊蕩と呼ぶ母に養はる。彼は売色塲裡に人と成り、此も好色修行に身を抛ち、彼も華奢豪逸を以て心事となし、此も銀むくの煙管を路傍の狗に与へて去るの傲遊を以て快事となす。此等の同致を列記すれば際限あらじ、然れ雖余が此二作の意匠相似たりと言ふは、此等外部の同致のみにあらず、作家着想の根本に入りて、理想の同致あるを認めたればなり。