予言
本文約13,900字 ・ 読了時間 約28分
あらすじ(AIが作成しました)
家が破産し窮乏する画家の安部忠良は、憧れのセザンヌの絵を追究し制作に励む。ある日、精神病学を研究する石黒利通が持ち帰ったセザンヌの作品と出会い、石黒の妻との関係を疑われ新聞で中傷される。その後、石黒から届けられた詳細な予言の手紙に翻弄された安部は、妻の知世子とフランスへ向かう船上で、大晦日の催し物として渡された拳銃を自らに向けて引き、石黒の術中にはまったかのような幻影と現実に苦しめられる物語である。
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安部忠良の家は十五銀行の破産でやられ、母堂と二人で、四谷谷町の陽あたりの悪い二間きりのボロ借家に逼塞していた。姉の勢以子は外御門へ命婦に行き、七十くらいになっていた母堂が鼻緒の壺縫いをするというあっぷあっぷで、安部は学習院の月謝をいくつもためこみ、どうしようもなくなって麻布中学へ退転したが、そこでもすぐ追いだされ、結局、いいことにして絵ばかり描いていた。
二十歳になって安部が襲爵した朝、それだけは手放さなかった先考の華族大礼服を着こみ、掛けるものがないのでお飯櫃に腰をかけ、「一ノ谷」の義経のようになって鯱こばっていると、そのころ、もう眼が見えなくなっていた母堂が病床から這いだしてきて、桐の紋章を撫で、ズボンの金筋にさわり、
「とうとうあなたも従五位になられました」
と喜んで死んだ。
安部は十七ぐらいから絵を描きだしたが、ひどく窮屈なもので、林檎しか描かない。腐るまでそれを描くと、また新しいのを買ってくる。姉の勢以子は不審がって、
「なにか、もっとほかのものもお描きになればいいのに」
といい、おいおいは気味悪がって、
「林檎ばかり描くのは、もう、やめてください」
と反対したが、安部がかんがえているのは、つまるところ、セザンヌの思想を通過して、あるがままの実在を絵で闡明しようということなので、一個の林檎が実在するふしぎさを線と色で追求するほか、なんの興味もないのであった。
安部は美男というのではないが、柔和な、爽やかな感じのする好青年で、一人としてこの年少の友を愛さぬものはなかった。仲間の妹や姪たちもみな熱心な同情者で、それに、われわれがいいくらいに嗾しかけるものだから、四谷見附や仲町あたりで待伏せするようなのも三人や五人ではなく、貧乏な安部のために進んで奉加につきたいのも大勢いたが、酒田忠敬の二女の知世子が最後までねばりとおして、とうとう婚約してしまった。