TRENDIA CLASSIC

顎十郎捕物帳

久生十蘭

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左きき

「こりゃ、ご書見のところを……」

「ふむ」

書見台から顔をあげると、蒼みわたった、鬢の毛のうすい、鋭い顔をゆっくりとそちらへ向け、

「おお、千太か。……そんなところで及び腰をしていねえで、こっちへ入って坐れ」

「お邪魔では……」

「なアに、暇ッつぶしの青表紙、どうせ、身につくはずがない。……ちょうど、相手ほしやのところだった」

「じゃア、ごめんこうむって……」

羽織の裾をはね、でっぷりと肥った身体をゆるがせながら、まっこうに坐ると、

「御閑暇なようすで、結構でございます」

こちらは、えがらっぽく笑って、

「おいおい、そんな挨拶はあるめえ。……雨が降りゃア、下駄屋は、いいお天気という。……おれらは忙しくなくっちゃ結構とは言わねえ」

「えへへ、ごもっとも。……どうも、この節のようじゃ、ちと、骨ばなれがいたしそうで……」

「これ見や、捕物同心が、やしきで菜根譚を読んでいる。……暇だの」

引きむすぶと、隠れてしまいそうな薄い唇を歪めて、陰気に、ふ、ふ、ふと笑うと、書見台を押しやり、手を鳴らして酒を命じ、

「やしきでお前と飲むのも、ずいぶんと久しい。……まア、今日はゆっくりしてゆけ」

一年中機嫌のいい日はないという藤波、どういうものか今日はたいへんな上機嫌。せんぶりの千太は呆気にとられて、気味悪そうにもじもじと揉手をしながら、

「えへへ、こりゃ、どうも……」

といって、なにを思い出したか、膝をうって、

「ときに、旦那。……清元千賀春が死にましたね」

「ほほう、そりゃア、いつのこった」

「わかったのは、つい、二刻ほど前のことでございます。……ちょうど通りすがりに、露路口で騒いでいますから、あっしも、ちょっと寄ってのぞいてまいりました」

「そう、たやすくはごねそうもねえ後生の悪いやつだったが……」

「長火鉢のそばで、独酌かなんかやっているうちに、ぽっくりいっちまったらしいんでございます。……なにか弾きかけていたと見えて、三味線を膝へひきつけ、手にこう撥を持ったまま、長火鉢にもたれて、それこそ、眠るように死んでいました」

「ふうん……医者の診断は、なんだというんだ」

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