顎十郎捕物帳
本文約13,200字 ・ 読了時間 約27分
あらすじ(AIが作成しました)
捕物同心である藤波の屋敷を訪れた千太が、死体で発見された芸者・清元千賀春の件を報告する。医者の診断では卒中とされたが、遺体の手に撥が握られていたことや、乳房の裏という不可解な場所に傷があったことから、藤波はこれが他殺であると見抜く。炭火中毒による死という真相が明らかになるまでの過程を描く。
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左きき
「こりゃ、ご書見のところを……」
「ふむ」
書見台から顔をあげると、蒼みわたった、鬢の毛のうすい、鋭い顔をゆっくりとそちらへ向け、
「おお、千太か。……そんなところで及び腰をしていねえで、こっちへ入って坐れ」
「お邪魔では……」
「なアに、暇ッつぶしの青表紙、どうせ、身につくはずがない。……ちょうど、相手ほしやのところだった」
「じゃア、ごめんこうむって……」
羽織の裾をはね、でっぷりと肥った身体をゆるがせながら、まっこうに坐ると、
「御閑暇なようすで、結構でございます」
こちらは、えがらっぽく笑って、
「おいおい、そんな挨拶はあるめえ。……雨が降りゃア、下駄屋は、いいお天気という。……おれらは忙しくなくっちゃ結構とは言わねえ」
「えへへ、ごもっとも。……どうも、この節のようじゃ、ちと、骨ばなれがいたしそうで……」
「これ見や、捕物同心が、やしきで菜根譚を読んでいる。……暇だの」
引きむすぶと、隠れてしまいそうな薄い唇を歪めて、陰気に、ふ、ふ、ふと笑うと、書見台を押しやり、手を鳴らして酒を命じ、
「やしきでお前と飲むのも、ずいぶんと久しい。……まア、今日はゆっくりしてゆけ」
一年中機嫌のいい日はないという藤波、どういうものか今日はたいへんな上機嫌。せんぶりの千太は呆気にとられて、気味悪そうにもじもじと揉手をしながら、
「えへへ、こりゃ、どうも……」
といって、なにを思い出したか、膝をうって、
「ときに、旦那。……清元千賀春が死にましたね」
「ほほう、そりゃア、いつのこった」
「わかったのは、つい、二刻ほど前のことでございます。……ちょうど通りすがりに、露路口で騒いでいますから、あっしも、ちょっと寄ってのぞいてまいりました」
「そう、たやすくはごねそうもねえ後生の悪いやつだったが……」
「長火鉢のそばで、独酌かなんかやっているうちに、ぽっくりいっちまったらしいんでございます。……なにか弾きかけていたと見えて、三味線を膝へひきつけ、手にこう撥を持ったまま、長火鉢にもたれて、それこそ、眠るように死んでいました」
「ふうん……医者の診断は、なんだというんだ」