顎十郎捕物帳
本文約13,400字 ・ 読了時間 約27分
あらすじ(AIが作成しました)
本郷弓町の長屋に住む奉行所の例繰方・顎十郎は、江戸で相次ぐ馬の尻尾切り事件に関心を寄せる。犯人とされる渡辺利右衛門は、辞世の和歌を残して自害していた。十郎は不審な歌の文句を読み解き、その裏に潜む組織的な誘拐と強制労働の実態を突き止める。妹を人質に取られながら、命を懸けて救出の手がかりを残した男の悲劇と、その謎を解き明かす十郎の活躍を、捕物帳の形式で描き出す。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
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馬の尻尾
「はて、いい天気だの」
紙魚くいだらけの古帳面を、部屋いっぱいにとりちらしたなかで、乾割れた、蠅のくそだらけの床柱に凭れ、ふところから手の先だけを出し、馬鹿長い顎の先をつまみながら、のんびりと空を見あげている。
ぼろ畳の上に、もったいないような陽ざしがいっぱいにさしこみ、物干のおしめに陽炎がたっている。
あすは雛の節句で、十軒店や人形町の雛市はさぞたいへんな人出だろうが、本郷弓町の、ここら、めくら長屋では節句だとて一向にかわりもない。
露路奥の浪人ものは、縁へ出て、片襷で傘の下張りにせいを出し、となりの隠居は歯ぬけ謡。井戸端では、摺鉢の蜆ッ貝をゆする音がざくざく。
「……どうやら、今日の昼食も蜆汁になりそうだの。……いくら蜆が春の季題でも、こう、たてつづけではふせぎがつかねえ……ひとつ、また叔父のところへ出かけて、小遣にありついてくべえか。……中洲の四季庵にごぶさたしてから、もう、久しくなる」
と、ぼやきながら、煙管で煙草盆をひきよせ、五匁玉の粉ばかりになったのを雁首ですくいあげて、悠長に煙をふきはじめる。
北番所の例繰方で、奉行の下にいて刑律や判例をしらべる役だが、ろくろく出勤もせず、番所から持ち出した例帳や捕物控などを読みちらしたり、うっそりと顎を撫でたりして日をくらしている。
時々、金助町の叔父の邸へ出かけて行って、なんだかんだとおだてあげて小遣をせしめると、襟垢のついた羽二重の素袷で、柳橋の梅川や中洲の四季庵なんていう豪勢な料理茶屋へ、懐手をしたまま臆面もなくのっそりと入ってゆき、かくやの漬物で茶漬を喰い、小判一両なげ出してスタスタ帰ってくる。このへんは、なかなかふるっている。
掬うほどの煙草もなくなったと見え、畳の上へ煙管を投げ出してつまらなそうな顔をしているところへ、
「おいでですか」
と、声をかけながら、梯子段から首を出したのが、れいの神田の御用聞、ひょろりの松五郎。
「相変らず、つまらなそうな顔をしていますね。……くすぶってばかりいねえで、ちとお出かけなさいませ。身体の毒ですぜ」
顎十郎は、気のなさそうな声で、