TRENDIA CLASSIC

玉取物語

久生十蘭

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嘉永のはじめ(嘉永二年十月)のことでござった。西国のさる大藩の殿様が本国から江戸へ御帰府の途次、関の宿の近くに差懸った折、右の方のふぐりが俄に痒くなった。蕁草の刺毛で弄われるような遣瀬なさで、痒味辛味は何にたとえようもないほどであった。しばらくの間は袴の上から押抓ってなだめていられたが、仲々もって左様な直なことではおさまらない。御袴の裾をもたげ、双方の御手でひきちがえ掻っていられたことであったが、悩みは弥増ばかり、あたかもふぐりに火がついて乗物いっぱいに延びひろがり、いまにその中に巻きこまれてしまうかと思うような現なさで、追々、心気悩乱してとりとめないまでになった。

御駕籠脇の徒士は只ならぬうめき声を聞きつけ、何事ならんと覗いみるところ、こはいかに殿様には裾前を取散したあられもない御姿にて、悶え焦れるばかりに身を押揉み、なにやらん不思議なことをせられていられる態、まことに由々しく見えた。

道中奉行は行列をとめ、山添椿庵という御側医者に御容態を伺わせたが、只、「痒い、痒い」とわめかれるばかりで手の施しようもない。殿様には若年の折から驚癇の持病があられるので、大方はそのことと合点し、匆々、関の御本陣へ落着するなり、耳盥に水を汲ませて頭熱の引下げにかかったところ、殿様は「おのれは医者の分際で、病の上下も弁えぬのか」といきられ、片膝をあげてふぐりを見せた。山添は目をそばめて熟々と拝見いたすところ、右の方のふぐり玉が、軍鶏の卵ほどの大きさになって股間にのさばりかえっているのに、先ずこれはと仰天した。とても人間の身につくものとは思えない。強いて附会ければ、癩者の膝頭とでも言うべき体裁だが、銅の色してつらつらに光りかがやく団々たる肉塊の表に、筋と血の管の文がほどよく寄集まり、眼鼻をそなえた人の面宛然に見せている。頭に婆娑たる長毛を戴き、底意ありげな薄笑いをしているところは、張継が「楓橋夜泊」の寒山拾得の顔にその儘であった。

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