TRENDIA CLASSIC

藤九郎の島

久生十蘭

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享保四年の秋、遠州新居の筒山船に船頭左太夫以下、楫取、水夫十二人が乗組んで南部へ米を運んだ帰り、十一月末、運賃材木を積んで宮古港を出帆、九十九里浜の沖合まで来たところで、にわかの時化に遭った。海面いちめんに水霧がたち、日暮れ方のような暗さになって、房総の山々のありかさえ見わけのつかぬうちに、雷雨とともに、十丈もあろうかという逆波が立ち、未曽有の悪潮に揉まれ揉まれて舵を折ってしまった。大波が滝のようにうちこむので、淦水を汲みだすひまもなく、積荷の材木が勝手に浮きだしてぶつかりあい、その勢いで舷の垣を二間ほど壊されてしまった。

船頭の左太夫は、荷打ちをさせ、垣根の破れ口を固めさせ、思いつくかぎりの手をつくしたが、間もなく梁まで海水がついたので、流れ船にする覚悟をきめ、檣を伐倒して垂纜を流した。時化で舵を折ったときは、舳のほうへ纜を長く垂れ流し、船を逆にして乗るのが法で、そうしなければ船がひっくりかえってしまう。

檣を倒し、たらしをするようになればもう最後なので、あとは船の沈むのを待つばかりである。十一人の乗組みは、思い思いに髷を切って海に捨て、水死したあとでも、一船の仲間だとわかるように、一人一人の袖から袖へ細引をとおしてひとつにまとめ、水船にしたまま、荒天の海に船を流した。

西北の強風は三日の間小休もなく吹き、昼さえ陽の目を見せぬ陰府のような陰闇たる海を漂わしたすえ、四日午後になって、やっとのことで勢をおさめた。

十二人は正体もなく寝框にころがっていたが、どうやら命の瀬戸を切りぬけたようすなので、誰も彼も生きかえったような心持になり、粮米を出してまず饑えをふさぐ仕事にとりかかった。船の上に出てみると、どちらをみても潮の色ばかりで、島山の影さえない。吹く風はあたたかく、日射しが強いので、だいぶと南のほうへ流されたことだけはわかった。

「お船頭、気のせいかしらぬが、潮の流れに乗っているように思うが」

甚八という楫取[#ルビの「かじとり」は底本では「かぢとり」]が左太夫のそばに立ってそういった。左太夫は眼をとじて潮の音を聞き、舷のほうへ行って海の色をながめていたが、

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