TRENDIA CLASSIC

奥の海

久生十蘭

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京都所司代、御式方頭取、阪田出雲の下役に堀金十郎という渡り祐筆がいた。

御儒者衆、堀玄昌の三男で、江戸にいればやすやすと御番入もできる御家人並の身分だが、のどかすぎる気質なので、荒けた東の風が肌にあわない。江戸を離れて上方へ流れだし、なんということもなく、京都に住みついてしまった。

筆なめピンコともいう、渡り祐筆の給金は三両一人扶持。これが出世すると、七両と二人扶持をもらって渡り用人になるのだが、そこまでもいかない。

泉通りにある御用所の長屋をもらい、三十になっても独身で、雇三一の気楽な境界に安着しているようだったが、天保七年の飢饉のさなかに、烏丸中納言のおん息女、知嘉姫さまというたき方を手に入れ、青女房にして長屋におさめた。烏丸中納言は十年にわたる飢饉を凌ぎかね、三両と米一斗で知嘉姫を売り沽かしたという説もあるが、この縁組みを望んだのは、知嘉姫そのひとだったので、そういう事実はなかったようである。

所司代御式方というのは、堂上諸家への進上物、寒暑吉凶の見舞、奉書の取次などをつかさどる役だが、久しい以前からの慣習で、春の節句に、諸家の奥向きへ、お土産といって江戸小間物を進上するのが式例になっている。

御用所用人の役目で、物書などの出る幕ではないのだが、その年は事務繁多で手繰りがつかず、金十郎が用人並に格上げされて邸廻りをした。

天保元年に、京都に地震があり、ほうぼうの築地や下屋が倒壊したが、その修理もまだできていない。公卿の館も堂上の邸も、おどろしいばかりに荒れはて、人間の住居とも思われない。

金十郎は階ノ間に通って、几帳の奥にいる方に進物の口上を披露するのだが、行く先々で見物にされるのでやつれてしまった。摂家も清華も、貧乏なくせに位ばかり高く、位負けして適齢を越えても、嫁に行くことができない。そういうお姫さま方が、人懐しそうに几帳の陰からジッとこちらを見る。黒い眼が金十郎の顔に吸いついて離れない。

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