森鴎外の「独逸日記」(明治十七年十月から二十一年五月にいたる)の十九年六月のところに次のような記述がある。
十三日。夜 岩佐(新)とマクシミリアン街の酒店に入り、葡萄酒の杯を挙げ、興を尽して帰りぬ。
翌日 聞けば拝焉(バイエルン=バヴァリア)国王 此夜 ウルム湖の水に溺れたりしなり。王はルウドヰヒ Ludwig 第二世と呼ばる。久しく精神病を憂へたりき。昼を厭ひ 夜を好み、昼間は其室を暗くし、天井には星辰を仮設し、床の周囲には花木を集めて其中に臥し、夜に至れば起ちて園中に逍遙す。近ごろ多く土木を起し、国庫の疲弊を来ししが為めに、病を披露して位を避けしめき。
今月十二日の夜、王は精神病専門医フォン・グッデン von Gudden と共にホフヘンシュワンガウ Hohenschwangau 城よりスタルンベルヒ湖 Starnbergersee 一名 Wurmsee(ウルム湖)に近きベルヒ Berg といふ城に遷りぬ。
十三日の夜 王 グッデンと湖畔を逍遙し、終に復た還らず。既にして王とグッデンとの屍を湖中に索め得たり。蓋し王の湖に投ずるや、グッデンはこれを救はんと欲して水に入り、死を共にせしものなるべし。屍を検せしものの謂へらく、グッデンは王を助けて水を出でんと欲し、其領(襟)を掴みしならん。グッデンの屍は手指を傷け、爪を裂きたり。されど王の力や強かりけん、袞衣は医の手中に残り、王は深処に赴きぬ。医は追ひて王に及び、水底にて 猶 王の死を拒みし如し。グッデンの面上には王に抓破せられたる瘢痕ありと。惨も亦た甚だし。
王の未だ病まざるや、人主の徳に詩客の才を兼ね、其容貌さへ人に勝れ、民の敬愛厚かりしが、西洋の史乗にも例少き死を逐げし[#「逐げし」はママ]こと、哀む可きに非ずや。
グッデンは特に精神病の医たるのみならず、平生 神経中心系の学に暗熟し、鳴世の著述あり。又 詩賦を好む。其 狂婦の歌 人口に膾炙す。其死も亦 職責を重んじたる跡 分明にして、永く 杏林に美名を赫するに足る。
二十七日(日曜)。加藤 岩佐とウルム湖に遊び、国王、グッデンの遺跡を弔す。