狂馬
本文約2,500字 ・ 読了時間 約6分
あらすじ(AIが作成しました)
炭坑の斜坑で長年酷使され、老衰した馬の青は、坑夫達に深く愛されていた。やがて炭坑でストライキが起き、労働者が引き上げる際、青も坑外へ連れ出される。地上の強烈な日光を遮る被り物をした青は、過去の記憶や仲間との再会を求めて奔走する。本書は、長年暗闇に閉じ込められた馬が、突如光に晒されたことで発症する狂気と、過酷な労働環境に置かれた人間と馬の痛切な共生関係を描く。
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炭坑の坑は二つに区別されている。竪坑。斜坑。――地上から地下へ垂直に、井戸のように通うているのが竪坑で、斜坑は、地上から地下へ、勾配になって這入って行くのだから樹木に掩われた薄暗い坂路を連想させる。
斜坑は、動物の通路を第一の目的として掘られたものであろう。炭坑に蒸気機関や電動機の採用されていなかったころ、人間の肩や背の他には、馬が一切の労働力を供給していたのだから。炭坑に機械力が這入って来てから、馬は、次第に廃れて行ったのであるが、古くからの炭坑へ行くと、今でも、馬の残っているところがある。
青!(その馬は若い時からそう呼びならされていた。)
青は鉱山主の温情主義から、坑の中に養われていた。十何年間を、地の底の暗闇の中に働いていたのであったが、最早すっかり老衰してしまって、歩くことさえも自由ではなくなっていた。併し、青は、坑内に働いている誰からも愛されていた。惨めな老人を労るようにして労られていた。
「青! なんとしたことだい。青! 少し元気出せよ。ほう! ほう! ほら!」
坑夫達はそんな風に言って、そこを通りかかる度毎に、青の鼻先へ触ってやるのだった。併し青は、黒い鼻先をほんの微かに蠢めかすだけであった。感覚の一切を、過去の生活の中へ置き忘れて来てしまったようにして、森の中の沼のような暗い眼を向けているのだった。その眼が果たして見えるのか見えないのか、ただじっと、暗い空間の一点に向けて据えているのだった。
「青! 本当にお前はどうしたのよ。おう? 元気がなくなったなあ。青! ああ、俺の飯が残っているから、お前に少しやろう。」
併し青は、坑夫達がそうしてくれる飯も、ほんの少しきり食わなかった。それも、一度口の中に入れたものを、思い出したようにしては噛み、またしばらくじっとしていて、思い出したようにしては、また噛むのだった。
青は本当に生きているのか死んでいるのかわからなかった。それは襤褸で拵えた馬のようでもあった。硝子玉の眼を嵌め込んだ剥製の馬のようでもあった。