序
今年の初、内閣情報部から発行してゐる「週報」から、最も簡単な日本歴史を書いてくれとの註文を受けた。多くの史学者に頼まず、僕を選んだのは、なるべく大衆に読ませようとの意図からであらう。
僕は、史学者でもない、歴史研究者でもない。しかし、歴史を愛し、歴史上の諸人物に親しみを持つ点に於ては、多く人後に落ちないつもりである。殊に、僕個人として、二千六百年を記念する意味で、「新日本外史」といふ小著を執筆中であつたので、「週報」からの依頼も、喜んで引き受けたのである。
悠々たる二千六百年間の出来事を原稿紙にして、わづか百五六十枚で、まとめることは至難中の至難である。しかし、僕が素人であればこそ、さう云ふ大胆な仕事も、出来るのではないかと思つてゐる。
この「二千六百年史抄」の本願とするところも、勿論国体を明徴にし、日本精神を発揚するところにありと思つたから、その点に微力を尽くしたつもりである。
が、何にせよ、片々たる小冊子である。説いて尽さゞる所が、甚だ多いのである。読者の中、不満を感ずる方があつたならば、どうかこれを機会として、他の史書を広く渉猟して下さらば、欣懐この上もないのである。日本歴史の智識を充分に持つことは、日本人としての自覚を持つ上に、最も大切なことではないかと思つてゐる。
昭和十五年七月廿八日 [#改段]
神武天皇の御創業
皇孫彦火瓊瓊杵尊が、天照大神の神勅を奉じ、日向の高千穂の触ノ峰に降臨されてから御三代の間は、九州の南方に在つて、国土を経営し、民力の涵養を図ると共に、周囲の者どもを帰服せしめ、之を化育することに依つて、いよ/\興隆の基礎を築かれたのである。
神武天皇の御世には、その皇化は九州一円に及んで、皇祖の神勅のまに/\大八洲を経営すべき自信と力とを獲得されたのであらう。
天皇は、御年十五歳にして、皇太子となられたが、御年四十五歳の時に、