TRENDIA CLASSIC
桟敷の古い形
折口信夫
1 / 1
此字は、室町の頃から見え出したと思ふが、語がずつと大昔からあつたことは、記紀の註釈書の全部が、挙つて可決した処である。言ふまでもなく、八俣遠呂知対治の条に、記・紀二つながら、音仮名で、さずきと記してゐる。それより後の部分にも、神功の継子の二皇子、菟餓野に祈狩して、各仮にゐると、赤猪が仮に登つて、麑坂ノ王を咋ひ殺した(神功紀)ことがある。又百済ノ池津媛、石河ノ楯とかたらひして、天子の逆鱗に触れて、二人ともに両手・両脚を、木に張りつけ、仮の上に置ゑて、来目部の手で、焚き殺された(雄略紀)よしが見える。
此尠くとも奈良以前に、磔殺の極刑のあつたことを示した伝へは、罪人を神の前に火殺する、一種の神事と仮との関係を示すと共に、形は、足代の上に、屋根なしの箱槽を置いた様だつたことを思はせる。二皇子の場合も、うけひの神事と、猟りの矢倉とを兼ねた物らしい。山・塚・旗・桙などの外に、今一種神招ぎの場として、かう言ふ台に似た物を作つたことがあつたのだらう。
又、菟道・鹿路に目柴立て、射部配ゑたゞけでは適はぬ猛獣の場合に構へたらしいこと、今尚、此風の矢倉構へる猟師があるのでも訣る。記に、門毎に仮を結ぶと見え、紀に仮八間なるを作るとあるのも、入り口の上に構へた物もあり、柱間の広い物もあつたことを示すのである。
祭り其他の物見に作り構へた桟敷は、古くはやはり、矢倉の一種であつたと思はれる。桟敷と言ふと、字義と実際とが相俟つて、長く造りかけた物らしく思はせてゐるが、古い形は、今の人の聯想とは、交渉を没した姿で、地上からやゝ高くそゝり立つてゐたのであらう。
折口信夫の他の作品
TRENDIA CLASSIC
延若礼讃
折口信夫
延若礼讃
折口信夫 ・ 約1分
TRENDIA CLASSIC
義太夫と三味線
折口信夫
義太夫と三味線
折口信夫 ・ 約2分
TRENDIA CLASSIC
御国座へ
折口信夫
御国座へ
折口信夫 ・ 約1分
TRENDIA CLASSIC
漂著石神論計画
折口信夫
漂著石神論計画
折口信夫 ・ 約7分
TRENDIA CLASSIC
愛護若
折口信夫
愛護若
折口信夫
TRENDIA CLASSIC
新しい国語教育
の方角
折口信夫
新しい国語教育の方角
折口信夫
TRENDIA CLASSIC
石の信仰とさえ
の神と
折口信夫
石の信仰とさえの神と
折口信夫
TRENDIA CLASSIC
稲むらの蔭にて
折口信夫
稲むらの蔭にて
折口信夫
TRENDIA CLASSIC
市村羽左衛門論
折口信夫
市村羽左衛門論
折口信夫
TRENDIA CLASSIC
『絵はがき』評
折口信夫
『絵はがき』評
折口信夫
TRENDIA CLASSIC
歌の円寂する時
折口信夫
歌の円寂する時
折口信夫
TRENDIA CLASSIC
江戸歌舞妓の外
輪に沿うて
折口信夫
江戸歌舞妓の外輪に沿うて
折口信夫