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TORENDIA

あのころ

本文約4,500字 ・ 読了時間 約10分

あらすじ(AIが作成しました)

明治八年生まれの上村松園が、自身の幼少期から画学校へ進むまでの日々を回想する随筆。亡き父の面影を追い、京都の葉茶屋で育った作者が、絵草紙屋の版画や北斎の絵に魅せられ、小学校時代に図画の授業を通じて絵への情熱を深めていく過程を綴る。母の温かな支えと周囲の人々に励まされながら、幼い頃から好んでいた人物画への道を歩み始め、画家としての道を志すまでの瑞々しい記憶を描いている。

上村松園

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🎧 あのころ / 朗読音声: VOICEVOX:もち子さん

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父

私が生まれたのは明治八年四月二十三日ですが、そのときには、もう父はこの世にいられなかった。

私は母の胎内にあって、父を見送っていたのであります。

「写真を撮ると寿命がない」

と言われていた時代であったので、父の面影を伝えるものは何ひとつとてない。しかし私は父にとても似ていたそうで、母はよく父のことを語るとき、

「あんたとそっくりの顔やった」

と言われたものです。それでとき折り父のことを憶うとき、私は自分の顔を鏡に映してみるのであります。

「父はこのような顔をしていなさったのであろうか」

そう呟くために。

祖父

祖父は、上村貞八といって、天保の乱を起こした大阪の町奉行大塩平八郎の血筋をひいたものであると伝えられています。

その当時はお上のせんぎがきびしかったので、そのことはひたかくしに隠して来たのだそうです。

この祖父が京都高倉三条南入ルのところに今もあるちきり屋という名代の呉服屋につとめて、永らくそこの支配人をしていましたそうです。

夏は帷子、冬はお召などを売る店として京都では一流だったそうです。

この貞八が総領息子に麩屋町六角に質店をひらかせましたが、三年目には蔵の中に品物がいっぱいになったと言われています。

ところが、京都のどんどん焼きとも言い、また鉄炮焼きとも言って有名な蛤御門の変で、隣の家へ落ちた大砲の弾から火事を起こし、その質蔵も類焼し、一家は生命からがら伏見の親類へ避難したのでした。

そのときは母の仲子は十六、七でしたが、そのときの恐ろしさをときどき話していられました。

元治元年の年のことであります。

間もなく四条御幸町西入奈良物町に家をたてて、そこで今度は刀剣商をはじめました。

参勤交代の大名の行列が通るたびに、店には侍衆がたくさん立たれて、刀や鍔を買って行ったそうで、とてもよく流行ったそうです。

また帰国のときには子供用の刀や槍がどんどん売れたそうで、これは国表へのお土産になったのであります。

葉茶屋

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