想い出
本文約3,400字 ・ 読了時間 約7分
あらすじ(AIが作成しました)
幼少期から絵を好み画家を志した著者が、京都での修業時代から自身の画風を確立するまでの歩みを綴る随筆。母の支えと数々の師との出会い、周囲の理解を得にくい環境下での苦闘、そして人物画への情熱を語る。漢学の学びを通じた精神の修養や、西洋や東京の美術に触れる中で、飽くなき探求心を抱き続け、理想の絵画を目指して描き続けた半世紀にわたる画業と、幼い頃より変わらぬ絵に対する純粋な心情を回想する。
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土田麦僊さんが御在世の折、よく私の筆胼胝が笑い話になりましたものです。
無理もないことで、私が絵筆を執り始めてから、今日まで丁度丸々五十年になります。今年六十七歳になりまするが、この五十年間を、私は絵と取組んで参った訳になります。
明治八年四月二十三日が私の生まれました日で、父は二ヶ月前の二月に亡くなりましたので、その時分の事ゆえ、写真など滅多になく、私は全然父の顔を知りません。「お父さんはどんな人」と言って尋ねますと、「あんたによう似た人や」と、親類のおばさん達が、笑いながら教えて呉れたものです。姉妹ただ二人きりで、私は母と姉を、父とも母とも思って成長致しました。
明治十四年、七つの時、仏光寺の開智校と申す小学校に入学致しましたが、この時分から私は絵が好きで、四条に野村という儒者が居られましてこの方から絵を習いました。これが私の絵の習い始めで、その時開智校で教えて戴いた中島真義先生が、私の描きます絵をいつも褒めて下さりまして、ある時京都中の小学校の連合展覧会に私の絵をお選び下さいまして、その時御褒美に硯を頂戴致しました。この硯は永年座右に愛用致しまして蓋の金文字がすっかり消えてしまいましたが、幼い私の中に画家を見付け出していろいろ励まして下さいました中島先生の御恩は一生忘れることが出来ません。
その時分、家の商売は葉茶屋でございまして、二人の子供を抱えた若い後家の母は女手一つで私達を育てて呉れました。