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TORENDIA

純真

本文約490字 ・ 読了時間 約1分

あらすじ(AIが作成しました)

「純真」という概念はアメリカ仕込みの親馬鹿に過ぎないと切り捨て、日本にあるのは「誠」という倫理であり、子供には演技か阿呆かのどちらかしかないと説く太宰治の一文。

太宰治

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🎧 純真 / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

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「純真」なんて概念は、ひょっとしたら、アメリカ生活あたりにそのお手本があったのかも知れない。たとえば、何々学院の何々女史とでもいったような者が「子供の純真性は尊い」などと甚だあいまい模糊たる事を憂い顔で言って歎息して、それを女史のお弟子の婦人がそのまま信奉して自分の亭主に訴える。亭主はあまく、いいとしをして口髭なんかを生やしていながら「うむ、子供の純真性は大事だ」などと騒ぐ。親馬鹿というものに酷似している。いい図ではない。

日本には「誠」という倫理はあっても、「純真」なんて概念は無かった。人が「純真」と銘打っているものの姿を見ると、たいてい演技だ。演技でなければ、阿呆である。家の娘は四歳であるが、ことしの八月に生れた赤子の頭をコツンと殴ったりしている。こんな「純真」のどこが尊いのか。感覚だけの人間は、悪鬼に似ている。どうしても倫理の訓練は必要である。

子供から冷い母だと言われているその母を見ると、たいていそれはいいお母さんだ。子供の頃に苦労して、それがその人のために悪い結果になったという例は聞かない。人間は、子供の時から、どうしたって悲しい思いをしなければならぬものだ。

完

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