TRENDIA CLASSIC

平賀源内捕物帳

久生十蘭

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十六日の朝景色

薄い靄の中に、応挙風の朱盆のような旭がのぼり、いかにもお正月らしいのどかな朝ぼらけ。

出尻伝兵衛、またの名を「チャリ敵」の伝兵衛ともいう、神田鍋町の御用聞。

正月の十六日は、俗にいう閻魔の斎日。

商売柄、閻魔参りなどに行く義理はない。

谷中の方にチト急な用があって、この朝がけ、出尻をにょこにょこ動かしながら、上野山内の五重の塔の下までやってくると、どこからともなく、

「……おい、伝兵衛、伝兵衛」

チャリ敵の伝兵衛、大して度胸もない癖に、すぐ向ッ腹をたてる性質だから、たちまち河豚提灯なりに面を膨らし、

「けッ、なにが伝兵衛、伝兵衛だ。大束な呼び方をしやアがって。……馬鹿にするねえ」

亭々たる並松の梢に淡雪の色。

ぐるりと見廻したが、さっぱりと掃き清められた御山内には、人影らしいものもない。

「な、なんだい。……たしかに、伝兵衛、伝兵衛と聞えたようだったが……テヘ、空耳か」

ぶつくさ言いながら歩き出そうとすると、また、どこからともなく、

「伝兵衛、伝兵衛……」

あわてて見廻す。やはり、誰もいない。

伝兵衛、タジタジとなって、

「おい、止そうよ。どうしたというんだい、こりゃア……」

麻布の豆狸というのはあるが、御山内にももんじいが出るという話はまだ聞かない。それにしても朝の五ツ半(九時)、変化の狸のという時刻じゃない。

「嫌だねえ」

ゾクッとして、まとまりのつかない顔で立ち竦んでいると、

「おい、伝兵衛、ここだ、ここだ」

その声は、どうやら、はるか虚空の方から響いて来るようである。

「うへえ」

五、六歩後へ退って、小手をかざして塔の上の方を見上るならば、五重塔の素ッ天辺、緑青のふいた相輪の根元に、青色の角袖の半合羽を着た儒者の質流れのような人物が、左の腕を九輪に絡みつけ、右手には大きな筒眼鏡を持って、閑興清遊の趣でのんびりとあちらこちらの景色を眺めてござる。

総髪の先を切った妙な茶筅髪。

でっくりと小肥りで、ひどく癖のある怒り肩の塩梅。見違えようたって見違えるはずはない、鍋町と背中合せ、神田白壁町の裏長屋に住んでいる一風変った本草、究理の大博士。当節、江戸市中でその名を知らぬものはない、鳩渓、平賀源内先生。

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