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TORENDIA

幕末維新懐古談

本文約3,100字 ・ 読了時間 約7分

あらすじ(AIが作成しました)

明治十七年、高村光雲は石川光明の勧めで、日本美術協会展覧会に初めて自身の作品を出品する。それまで世間の動向から隔絶し、ひたすら制作に打ち込んできた著者が、同会への参加を機に美術界の趨勢や諸家の活動を知る過程を綴る。明治十三年頃の竜池会結成から観古美術会への発展、新古展覧会開催に至る同会の歴史を辿りつつ、自らの制作活動が社会と繋がり、美術界の一員として視野を広げていく転換点を回想する。

高村光雲

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🎧 幕末維新懐古談 / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

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さて、今日までの話は、私の蔭の仕事ばかりで何らこの社会とは交渉のないものであったが、これからはようやく私の生活が世間的に芽を出し掛けたことになります。すなわち自分の仕事として、その仕事が世の中に現われて来るということになる訳です。といって、まだまだようやくそれは世の中に顔を出した位のものであります。

それは、どういう事から起因したかというと明治十七年頃日本美術協会というものがあった。これが私の世の中に顔を出した所で、いわば初舞台とでもいうものであろうか。この一つの会が私というものを社会的に紹介してくれたことになるのであります。が、この事を話そうとすると、その以前に遡って美術協会というものの基を話さなければなりません。それを話しませんと顔を出した訳が分らんのです。

私は、それまでは世の中がどういう風に進んでいるのか、我が邦の美術界がどんな有様になっているのか、実の所一向知りませんのでした。また、実際そういうことを特に知ろうという気もありませんでした。ちょうどそれは第一回の博覧会があった当時、その事にまるで風馬牛であったように、一向世の中のこと……世の中のことといっても世の中のことも種々ありますが、今日でいえば美術界とか、芸術界とかいう方の世界のことは一切どんな風に風潮が動いているか、その方面のことは一向知らずにいたのであります。で、どういう会が出来ていて、どういう人たちが会合して、どんなことを話し合ったり研究しあったりしているかなどは、さらに知らない。ただ、自分の仕事を毎日の仕事として、てくてく克明にやっていたばかりであったのです。

ところが、明治十七年に初めて日本美術協会というものに或る一つの小品を高村光雲の名で出品しました。これがそもそもの私の世間的に自分の製作として公にした最初のことであった。今日までは全く蔭の仕事、人目には立たぬ仕事、いかに精力を振い、腕によりをかけたものであっても、それは私の仕事としては社会的に注目されるものではなかったのでありました。

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