人物 生田 是則 四十九
妻 数子 四十六
息子 是守 二十五
小間使てる 二十一
七月の半ば過ぎである。某省の高級官吏生田是則は、休暇を取つて、家族と共に海岸の別荘へ来てゐる。家族と云つても、妻の数子と、長男の是守。次男の是高は、海が嫌ひだと称し、その代り、夏になると山登りの病気がはじまる。別荘には、番人夫婦がゐるから、本宅からは小間使のてる一人を伴に連れて来た。このてるといふ女は、まだ最近傭ひ入れたばかりであるが、行儀もよし、気転も利くといふので、多少朋輩を抜いて、奥さんのお気に入りだ。難を云へば、必要以上に眼鼻だちが整ひ、上眼使ひに人を見る時などの油断ならぬ艶かしさだ。
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一
ある日の夕方、早く食事を済ました男二人は、退屈しのぎに、近所のホテルへ撞球をしに行つた。
数子は、居間で、次男からの山の便りを読み返し、いつぱし登山家気取りで、また向う見ずなことをしないやうに、もう一度たしなめてやらなければならぬと考へてゐる。
小間使のてるが、洗濯物を畳んで持つて来る。
てる 若旦那様のお襦袢に、なんですか、血のやうなものがついてをりましたんですが、よく取れませんのです。 数子 どら、見せて御覧……(襦袢を取り上げて)どこさ……。あゝ、これかい。これや、お前……。いやだね、びつくりしたぢやないか。蚊でもつぶしたんだよ。 てる それから、この海水着、どちらが旦那様のでございましたか知ら……。 数子 まだ覚えられないの。毎日見てゝ……。あてゝ御覧。 てる さあ、こちらでございませうか。 数子 え、どつち……さうだね、かうしてみると、ちよつとわからないね。召してらつしやれば、すぐわかるんだけど……。 てる それや、あたくしでも……。
二人は笑ひながら、数子は、手紙の返事を書き、てるは、洗濯物を箪笥に入れようとする。この時、抽斗を間違へたふりをして、一つの抽斗から、袱紗に包んだ紙幣束を取り出し、素早く帯の間に挟む。やがて、てるは、部屋を出ようとして、一つ時躊躇するが、思ひ切つて、そこへ膝をつく。