TRENDIA CLASSIC

古代民謡の研究

折口信夫

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おもしろき野をば 勿焼きそ。旧草に 新草まじり 生ひば生ふるかに(万葉集巻十四)

此歌は、訣つた事にして来てゐるが、よく考へれば、訣らない。第一、どの点に、民謡としての興味を繋ぐことが出来たのか。其が見当もつかない。「ふる草に新草まじり」といふ句は、喜ばれさうだが、昔の人にもさうであつたらうか。上田秋成などは「高円の野べ見に来れば、ふる草に新草まじり、鶯の鳴く」と借用してゐる。だが、かうした興味からだけで、もと謡はれたものとは言ひにくい。或はそこに暗喩を感じる事が出来たのかとも思ふが、此歌全体の大体の意義さへよく説かれてゐないのは、事実である。

生ひば生ふるかに

まづ「おもしろき此野をば、な焼きそ。去年のふる草に、新草のまじりて、生ひなば生ふるに任せよ」と言ふ風に、大体考へられる様だ。だが、考へると、「生ひば生ふるかに」と言ふ文法は、普通の奈良朝の用語例ならば、後世の表現法によると、「生ふるかに」だけで済む処だ。「袖も照るかに」「人も見るかに」「けぬかに、もとな思ほゆるかも」などで訣るのである。

ところが、古い用法になると、「けなばけぬかに恋ふとふ我妹」と言はねば、完全に感じなかつたらしい。「けぬべく思ほゆ」と言ふのと、略似た用語例にあるもので、万葉でも新らしいのは、べく或は音を変へてかねと言うてゐる様だ。「か」は句を体言化する接尾語で、「に」は副詞の限定辞である。そして「かね」を使ふ場合は、それ以下の文句を省いてゐるか、前の方へ跳ね戻る――句の倒置――かゞ常である。だから此なども、説明句を省いたか、上へ返るか、どちらかである。「生ひば生ふるかにな焼きそ」となるのか、それとも「生ひば生ふるかに……せよ」と言ふ文法かである。とにかく「かに」があると、文章全体が命令になつて来るのが新しくて、古いものでは、もつと自由な様である。

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